自治体職員の読書ノート

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【344冊目】アマルティア・セン「アイデンティティに先行する理性」

アイデンティティに先行する理性

アイデンティティに先行する理性

ここでいう「アイデンティティ」は、むしろ個々の人間の、民族や宗教、団体、コミュニティなどへの「帰属」と言った意味に近い。センが本書で批判しているのは、人々の価値観や選択は、こうした帰属集団の性質や価値観によって決定され、人々はそれに従うべきである、とする、いわば一種のアイデンティティ決定論であるように思われる。

もちろん、人々の価値観がその属する国家や民族、地域、階級、ジェンダーなど、さまざまな社会的要因によって左右されることは周知のとおりであり、センもそのこと自体を否定しているわけではない。しかし、強硬なコミュニタリアンが主張するように、コミュニティの価値観や伝統を個々人の自由や理性より優先させるべきとの考え方に対しては、センは厳しい非難を向ける。あくまで優先されるべきなのは理性に基づく自由な選択が確保されていることなのである。

インドと言うさまざまな因習に満ちた土地に育ったセンだけに、本書の主張には説得力がある。さらに、こうした自由な選択の重要性は、国家制度のあり方に対してもあてはまる。センはいわずと知れた民主主義の擁護者であるが、本書のロジックによれば、その国家がもつ伝統や慣習は、その政府に独裁制や圧制を許す理由にはならないのである。

なお、本書はオックスフォードで行われた講演がもととなっているが、巻末に訳者が「あとがき」としてかなり詳細な解説を付している。この解説が、センの思想的立場をリベラリズムコミュニタリアニズムの中で分かりやすく位置づけてくれており、なかなか参考になった。