自治体職員の読書ノート

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【334冊目】片山恭一「雨の日のイルカたちは」

雨の日のイルカたちは (文春文庫)

雨の日のイルカたちは (文春文庫)

表題作のほか「アンジェラスの岸辺」「彼らは生き、われわれは死んでいる」「百万語の言葉よりも」を収めた短編集。

水彩画のような、淡くしずかな文章が印象的。会話も情景もすべてがあわてず騒がず、実は結構どぎついセリフもあるのだが、そう感じさせない穏やかな調子で物語が進んでいく。その中でかたちを変えて問われていくのは、実は生と死、生きるとはどういうことか、という、かなり重く難しいテーマ。そして、登場人物の現実の中で生について問われるとき、登場するのが911同時多発テロ。いや、むしろこの小説は、そもそもあの衝撃的な事件がもつ意味を、われわれの現実を鏡として問いかけているのかもしれない。

確かにあのテロのインパクトはすごかった。本書の中でも登場人物が独白しているが、あの事件を境に現実というものの持つ意味は変わってしまったのかもしれない。あのハイジャックされた飛行機に乗っていた人々だけが、現実というものを語りうるのかもしれない。本書では911はほとんど背景に退いているが、その存在感は、現実の生活のほうがかすむほど圧倒的である。

もうひとつ、メタファーのような形で繰り返し登場するのがイルカである。特に、水族館から逃げたイルカ、というイメージはなかなか素敵。それだけでも一篇の詩になりそうだ。こうした詩的なイメージのつくりかたが、この作者はとてもうまいと思う。

ただ気になったのは、上に書いたテーマ(生と死、生きるとはどういうことか)について、人々があまりにも能弁で、理屈を立てて語りすぎること。こういう語りにくい漠然としたテーマを、そんなにすべて言葉にしようとしなくてもいいんじゃないか、という気がしてならない。そうするとかえって、大切なものが掌からこぼれ落ちてしまう。そんな理屈ばった言葉を並べるより、イルカのような詩的なイメージ、豊かなメタファーに身を任せてしまったほうが、よほどたくさんの大切なことを伝えられるんじゃなかろうか。