自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【282冊目】白川静「孔子伝」

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

これほどに、読んでいるだけで自然と背筋が伸び、居住まいを正してしまう本はめずらしい。

本書はまさにそういう本であった。その理由はおそらく、著者の白川静先生(別に師弟関係にあったわけではないが、この方のことは「先生」と呼称するのが一番自然だと感じる)の学問に対する姿勢、歴史や思想に対する姿勢が、本書を読んでいるうちに染み透るように読み手に伝わってくるためだと思う。本書の背景にあるのは、中国古代史に関するほとんどすべての文献が頭に入っているのではないかと思われるほどの圧倒的な博識と、それを誇るでもなく、むしろそれらを踏まえつつ、あくまでも謙虚に、丁寧に推論を組み上げる地道な思考の過程である。その学究者としての求道的なまでの姿勢が、読み手の心に届くのであろう。

本書は孔子という思想史上の巨人について、その謎めいた行跡を追い、思想の深みに迫るものとなっている。特に面白かったのは、儒という文字からそのルーツを巫祝に求め、そこから孔子の出自と、その思想の特徴をあぶりだしていくプロセス。また、流浪の日々を中心に孔子の送った日々を辿っていくのだが、そこでは陽虎といういわば孔子のライバルの存在を指摘し、陽虎との関係を軸にすることで孔子の動きを意味づけていく。さらに、孔子の「批判者」として、荘家や墨家の文献といった外部からの目で孔子の思想を眺めていくが、一見対立的な荘子の思想に、実は孔子の思想の一部がいわば流れ込んでいる点、また、墨家の由来が、当時は卑賤の身分であった工人すなわち技術者であり、その点で同じく卑賤でありながら巫祝の系譜にある孔子と奇妙なコントラストをなしている点なども、なかなか面白く感じた。

それにしても、当時は諸国を流浪し続け、なかなか君主との縁に恵まれなかった孔子の教えが、後世になると国家統治に有用な思想として見出され、中国、さらには朝鮮、日本に至るまで、儒教というかたちで国家を支える屋台骨となったのは、何とも皮肉としかいいようがない。いったい孔子とは何者だったのか、本書はその答えとともに、さらに大きな問いかけをわれわれに投げかけているように思える。