自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【245冊目】吉本隆明「親鸞<決定版>」

親鸞

親鸞

本書も含め、今後親鸞関係の本が何冊か続くと思うが、これは、ある方から「歎異抄」をもっと深めてはどうか、というサジェスチョンをいただいたことがきっかけ。自治体職員とは限りなく関係のない内容となってしまうが、できれば大目に見て、興味のない方はさらっとスルーしていただければと思う。まあ、ここで感想を書いている本、自治体職員と関係のないもののほうが多い今日この頃であるから、今更という感じもあるが。

さて、本書は思想家の吉本隆明氏が、「最後の親鸞」以後、なかばライフワーク的に書き続けてきた「親鸞」に関する文章類を集成したものである。内容的にはやや重複がないでもないが、その分、幾重にも折り重なるような論述で、親鸞という、宗教家を突き抜けて思想家にまで達しているかのような稀有の存在を描きつくしている。アウグスティヌスやルター、あるいは仏教であれば禅の思想がそうであるように、それなりの宗教家であれば、誰しもその信仰を根本的に突き詰めていく過程で、宗教の枠を飛び越えて普遍的な思想や哲学のレベルに至ることはあると思うのだが、本書を読んで、親鸞はその飛び越え方というか突き抜け方がどこか特殊なように感じられた。なんというか、宗教というフレームそのものが一歩間違えば無意味化しかねないような方向性を持っているように思われたのだ。そして、親鸞自身、そのことに危惧を抱きつつ、一方では必要とあれば「宗教でなくなる」ことを恐れずに突き進むところを持ち合わせていたのではないかと思われてならない。こういう捉え方が妥当なのかどうか、本書自体の難しさや親鸞の思想自体の一筋縄ではいかないロジックについていけているかどうか自信がないのだが、私には本書はそういうふうに読めた。

それと、なんとなく常識としては知っていたのだが、親鸞の生きていた当時の世相のすさまじさ、貧困と餓死で道端に死屍が累々と横たわり、もはや現世に救いを求めても得られるとは思えない時代が、浄土宗や浄土真宗のみならず仏教各宗派の隆盛につながっているという点、なんとも複雑な思いである。