自治体職員の読書ノート

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【107冊目】福原義春「猫と小石とディアギレフ」

猫と小石とディアギレフ

猫と小石とディアギレフ

著者の福原氏は、長年にわたり資生堂の経営に携わり、今もその名誉会長である。しかし本書は、タイトルからもうかがえるように、企業家のエッセイとは思えないほど多彩かつ芳醇な話題を取り上げている。ちなみに「猫」は福原氏の飼い猫、「小石」は地中海に浮かぶマルタ島の小石、「ディアギレフ」は20世紀初頭のパリを舞台に活躍した天才芸術プロデューサーである。そのほかのテーマも含め、これほど多様なテーマについて自分の言葉で語り尽くせる人はなかなかいないのではないか。

それもそのはず、福原氏は単なる「経営者」の顔のみならず、企業メセナの第一人者という顔、東京都写真美術館の館長としての顔などをもつ、知る人ぞ知る日本の文化経済学・文化政策の牽引役のひとりである。それも単なるお仕着せのポストではない。文化や芸術に対する膨大な知識と教養に裏打ちされた、確固たる文化観、芸術観を備えている、日本では(おそらく)数少ない企業家のひとりなのである。そのことは、本書を読めばたちどころに了解できると思う。

とはいっても、本書のエッセイには、知識をひけらかすようなところはまったくない。むしろ、日常の何気ない出来事や気づきについて語っているうちに、話が自然とさまざまな歴史的・文化的要素に流れていく、という展開になっている。それは、膨大な知識や教養が単に知識として宙に浮いているのではなく、文字通り著者の血肉として有機的に一体化しているということであろう。また、ふだん目にするちょっとしたこと、日常の出来事が、実はすべて歴史的・文化的な背景をもち、それによって現在と過去がゆるやかにつながっていることを、おそらく著者は肌身で感じているのだろう。そして、思うにその感覚こそが、単なる知識とは異なる本当の教養であり、知恵なのだと思う。それを自然体で備えている著者のような人物が、企業メセナという文化振興の最前線で活躍されているということは、実に貴重かつ幸福なことなのだと思わざるをえない。

また本書には、文化政策や文化行政といったテーマを考える上で貴重なヒントがいくつも隠されている。例えば、ディアギレフについて語ったエッセイや、最後の「羨ましい話」で取り上げられているナントとナンシーの文化振興の話は、「結局、重要なのは「人」である」という点に尽きる。また、東京都写真美術館の話も、同じ自治体の文化施設として示唆に富む。まあ、そういう小難しい話は抜きにしても、読んで楽しく損はない好エッセイ集である。