自治体職員の読書ノート

読むために書くのか、書くために読むのか。

【105冊目】栗本薫「グイン・サーガ」シリーズ


全100巻との触れ込みで始まったシリーズだが、すでに110巻を超え、今なお終結のきざしが見えない大長編小説。第1巻が1979年刊行というから、すでに4半世紀を超えて続き、しかも新刊が出るたびベストセラーリストの上位に登場するという怪物小説でもある。

思えばこの小説との付き合いは中学生の頃にさかのぼる(当時、すでに10巻以上が刊行されていたような気がする)。13歳の時から今に至るまで同じシリーズを読み続けているなんて、この小説ぐらいのものである。また、今読み返すと、1巻から最新刊まで同じ世界観、ほとんど同じ文体で貫かれていることに驚かされる。

グイン・サーガに限らず、栗本薫の小説がいいのは、何より「小説が大好き」「このシリーズが大好き」「書いていて楽しくて仕方がない」という作者の思いが全編にみなぎっていることだ。その思いが、文章に勢いと流れをもたらし、えもいわれぬドライブ感を与えている。世評とか理論とかとは関係なく、書きたいことをのびやかに書いているという感じである。何より、書くのが好きでしょうがない人の書く文章を読むのは、こちらも実に気持ちが良い(しかも上手いし)。こういう小説家は、なかなかいない(すぐ思いつくのは、スティーブン・キングあたりだろうか? こちらはドライブ感というより粘着感かもしれないが)。

栗本薫には、小説家というよりむしろ「語り手」「語り部」というイメージをもっている。それは、「自分で創作した物語」にも関わらず、「どこかにある物語」を語るように書いているからである。おそらく、栗本薫自身もそう感じているのではないかと勝手に想像している。だから、このシリーズには「作っている」感じが全然しない。創作の苦しみとか悩みとか、そういう要素がまるで感じられないのである。すぐれた彫刻家は「石の中にある彫像をただ掘り出す」ように創作をするというが、栗本薫も「あるものをただ描き出す」ように小説を書いているような気がする。