自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2083冊目】フィル・クレイ『一時帰還』

 

一時帰還

一時帰還

 


海兵隊として1年間をイラクで過ごした著者が、みずからの戦争体験をもとに綴った連作短編集。著者は帰国後、大学で創作を学んだとのことで、自らの体験というリアリズムと小説としての虚構が混然一体となり、ちょっと他では見られない戦争小説集になっている。これに匹敵するのは、アメリカならティム・オブライエン、日本なら大岡昇平か。

戦争は、戦地だけでは終わらない。最初の作品「一時帰還」は、いきなりそのことを突きつけてくる。自宅の椅子に座っていても、考えがまっすぐに出てこない。故郷のことを考えようとしても、思い出すのは「冷凍庫に置かれた人体の一部」「檻に入れられた知的障害の男」「壊れたテレビ」「回教徒の死体」「血まみれになったアイコルツ(戦友の名前)」「無線で通信している中尉」。妻と一緒に買い物に出ても、イラクの市街地を移動するときの警戒心が抜けず「銃を握ろうとして、そこにないのでビクッとするといったことを十回も繰り返す」。プライス三等軍曹の中で、戦争はいつになっても終わらない。

作品によって、視点も場所もさまざまだ。遺体安置業務に関わった兵士。心理作戦に従事したコプト教徒。兵士の悩みを聞く従軍牧師。そこには「イラク戦争は正しかったかどうか」といった単純な問題は(ジョークの種として以外は)そもそも意味をなさない。語られているのはブッシュ大統領でもなければサダム・フセインでもビンラディンでもなく、無名の一兵士がイラクで送った日々なのだ。


安全なところからわかったような口ぶりで語られる言葉ほど、戦争のリアルから遠いものはない。アメリカで開かれたある反戦集会について、ホーパート二等軍曹はこう話す。

「本当に起きたかどうかの問題じゃない。クソみたいな出来事のなかには、絶対に話しちゃいけないことがあるんだ。俺たちは、こことはまったく違う場所で暮らしていた。あの聴衆のなかのヒッピーたちには想像もつかないところだ。ラマディの街を歩いていて、ある建物から銃撃されたら、その建物にいる人たちの命と自分の命を天秤にかけなきゃならない。あのクソ野郎どもはそんな経験をしたことがないからって、自分が善人だと思ってやがる。ああいう経験は、その場にいなかった人に話して聞かすことはできない。自分だって、どんなだったかほとんど覚えてない。だって、ほとんど意味を成していないんだ。あんなクソのなかで何か月も暮らし、戦い続け、それでも気がふれる人間がいない振りをするなんて、それこそ本当にクレージーだ」(「アザルヤの祈り」より)

 


太平洋戦争に従軍した私たちの祖父たち、曾祖父たちも、きっと同じような気持ちなのだろう。だが、だからこそ戦争の記憶は経験した世代とともに消え去って、やがて新たな戦争がはじまるのかもしれない。この難問を解く方法は、果たしてあるのだろうか。

結論はない。正義も、勝利も、どこにもない。多くの人の人生も、精神も、根底から破壊してしまう。それこそが戦争なのだ。フィル・クレイ、書きにくいことばかりを、よくぞ書いてくれた。