自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1413冊目】松本健一『丸山眞男八・一五革命伝説』

のっけからなんだかすごいタイトルだが、これは「○○伝説」と銘打った著作を連打している著者の十八番。だが、丸山眞男が昭和20年8月15日を日本の「無血革命」の日と記したのは、まぎれもない事実である。

もちろん日本にフランス革命ピューリタン革命、最近でいえばジャスミン革命のようなリアルな「革命」が起きたわけでは、もちろんない。著者はその内実を「仮構」つまり一種のフィクショナルな設定であったと断じている。まあ、そりゃそうだ。「あの日」を革命というのは、いくらなんでも無理がある。むしろ丸山眞男という思想家のすごさは、その「仮構=フィクション」の上に、戦後民主主義という「虚妄」の壮大な伽藍を積み上げ、あまつさえ「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に賭ける」とまで言い切ったという、その「覚悟」にあるというべきだろう。

本書はそんな丸山を軸としつつ、さまざまな思想家や実践家を交錯させ、そこに戦前から戦後に至る日本思想史を浮き上がらせた一冊である。登場するのは、竹内好橋川文三谷川雁、あるいは北一輝福澤諭吉といった錚々たる面々だ。

ちょっと意外だったのは、著者自身が学生時代に丸山眞男の講義を受け、さらに学者として一人立ちした後も、丸山への批判を通じて本人と書簡や書籍のやり取りをしていたということだった。そのため、本書には著者に宛てて書かれた丸山の手紙や対話についてもたっぷり取り上げられており、また著者自身の個人的な思い出が、丸山の思想紹介と重なり合うように記されていて、単なる学術的な批評というには個人的な関わりが色濃く反映したものとなっている。

どうやら著者は、丸山の思想を批判しつつも、丸山自身の信頼は相当勝ち得ていたらしく(ある意味、丸山にとっては思想界の若きライバルのような位置づけだったのかもしれない)、その学恩を丸山眞男論というカタチで返そうとの思いが、本書に結実したということなのかもしれない。著者にとってもまた丸山は、たっぷりと胸を借りて議論を展開できる「頼れる論敵」であったのだろう。思想や意見を異にしつつ、こういう関係を築くことができるとは、なんと幸せなことか。

丸山眞男という人は、思想家としてはある種「理性の権化」的なところがあり、その分冷たくてとっつきづらいという印象があった。しかし本書は、丸山自身の戦争体験(丸山は8月6日に広島におり、きわどいところで被爆死から逃れた「ヒロシマ・サバイバー」だったのだ)に始まり、まさにその思想と骨がらみで一体化した人生にも目を向けつつ、「冷たい」と言われがちな丸山の、別の面、血の通った人間的な顔を見せてくれる。

そんな丸山像、丸山論の中でも、とりわけ印象的だったのは、大学紛争の折に丸山の研究室に乱入して暴れまわった全共闘の学生と丸山の関係について論じた、30年前の著者の文章であった。丸山という人物の「ポジション」が、この文章で初めて見えてきた気がした。

「……そこにいたのは、ほかならぬ、かれらの父親だった。かれらの学問上の師父であり、かれらの精神的土壌となっている戦後民主主義の生みの親であり、かれらの属する市民社会の唱え主であった。さすれば丸山は、帝国主義大学の学問に叛旗を翻し、戦後民主主義の虚妄を嗤い、市民社会の擬制なることを性急に叫ばんと踏み出したかれらにとっては、父親の仮面をかぶった敵と映らざるをえなかった。それはかれらが嫌悪し否定すべきと考えていた、己の前身そのものだったからである」(p.199)

そうなのだ。いかに「仮構」であり「虚妄」であろうとも、60年以上続いた戦後民主主義にとって、丸山はその思想的な立脚点を築いた父のごとき存在なのだ。全共闘は無自覚にせよそんな「父」への反抗を試みた、ということになるのだろうか。

そして今、そんな「リベラルの父」は、まだ記憶されているだろうか。父に反抗できるうちはいい。問題は、父の背中を見失ってしまうことである。はたして現代に生きる日本人は、見据えるべき「父の背中」をしっかり見据えているだろうか。