自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2496冊目】金原ひとみ『アタラクシア』

 

アタラクシア

アタラクシア

 

 

アタラクシアとは、なんと皮肉なタイトルか。哲人エピクロスによれば、これは「外界からわずらわされない、激しい情熱や欲望から自由な、平静不動の心のさま」をいう(「コトバンク」より)。誰もが到達したい、理想の境地。だが、求めているはずなのに、人はなぜそこからどんどん遠ざかってしまうのか。

不倫し、不倫され、暴力を振るわれ、パパ活にいそしむ、本書に登場する人々、特に女性たち。そのありようは、平静不動どころか、愛情と情慾と嫉妬と打算の煉獄でもがいているかのようだ。

その渦巻くような心の叫びを、著者は残酷なほどにリアルに描いてみせる。例えば、浮気を繰り返す夫の拓馬に絶望し、反抗的な息子の信吾に憎悪さえ覚える英美の独白はこんな感じだ。ただし、本当はこの3倍くらい長い。

「理系に進みたかったのに失敗するのが嫌でフライング気味にその道を諦め、こういう男は好きじゃないと思っていた男と結婚し、子供なんて欲しくなかったのに産み、母親が嫌いなのに母親の上位互換のような人生を歩んでいる。あらゆる矛盾に矛盾を重ねて今私は限界に達している。うんざりすることにすらうんざりした私は、もはや精神が限界の限界を超え、何か別の生き物に進化しようとしているかのようだ。自己矛盾の中で酸欠にもがきながら、女でも人間でもないモンスターになろうとしているようだ」(p.22-23)

 

 

誰一人として心の平穏など得られていない登場人物たち。その中では比較的超然としているように見える由依も、「食べるためにモデルになる夢を棄てた」過去をもつ。だが、読み終えて思ったのは、果たして情熱も欲望も捨て、心の平穏を得た人生などに何の魅力があろうか、ということだった。少なくとも本書に登場する人々は、愛しながら、傷つきながら、あるいは絶望しながら、まさしく生きているのである。

【2495冊目】吉田洋一『零の発見』

 

零の発見―数学の生い立ち (岩波新書)

零の発見―数学の生い立ち (岩波新書)

  • 作者:吉田 洋一
  • 発売日: 1986/11/01
  • メディア: 新書
 

 

数学エッセイの元祖のような一冊だ。われわれが数学や算数で当たり前と思っていること、例えば数字の書き方(記数法)などのルールが、実は決して「当たり前」ではないことを、数学史を辿りつつ解き明かしていく。その筆致は実にスリリング。その中で無限小数や「連続」をめぐる議論が展開され、数学のもっとも基本的で、同時にもっともあやうい「キワ」のようなところを一挙に通過する。

おもしろかったのは、数学の父であって数秘術の大家であったピュタゴラスの話。数学の世界の調和と美をこの世の真理であって法則と考えたピュタゴラスは、辺の長さが1の正方形の対角線の長さが2の平方根という通約不可能な無理数であったことに対し、これを教団の外部に漏らすことを禁じたというのだ。「アロゴンの存在は造化の妙に欠陥があることを意味する。したがって、かかる造化の手落ちはかたく秘めておかなければならぬ」(p.131)。そして、掟を破った最初の者は、神罰を受けて難破、溺死したという。数の神秘、おそろしき哉。

【2494冊目】マイケル・バード『ゴッホはなぜ星月夜のうねる糸杉をえがいたのか』

 

 

タイトルだけ見れば、ほぼ全員がゴッホの本だと思うだろう。確かにゴッホも出てくるが、それは本書に登場する68のアーティストのうちの一人にすぎない。英語の原題は「Vincent's Starry Night and Other Stories: A Children's History of Art」。邦題、ちょっと略し過ぎだろ。むしろ副題の「A Children's History of Art」が、本書の性質をそのまま表現している。本書はまさに、子どもたちに向けて書かれた、68のアートにまつわる歴史と物語なのだ。

4万年前に象牙を削って作られた「ライオンマン」に始まり、現代中国のアーティスト、アイ・ウェイウェイに終わる。登場するアーティストのほとんどがヨーロッパ圏なのは、まあやむをえまい。ちなみに中国は「始皇帝の職人たち」「范寛」「アイ・ウェイウェイ」のみ、日本人に至っては「葛飾北斎」ただひとり。まあ、そんなもんでしょう。むしろ個人的には、パウル・クレーサルバドール・ダリルネ・マグリット、アルベルト・ジャコメッティが登場しなかったのが不満だった。あとイスラム圏も少ない。中世ヨーロッパの写本彩色師が取り上げられているが、だったらコーランの写本は取り上げなくてよろしいのか。

まあ、そんなないものねだりをしても始まらない。それよりも「ライオンマン」や洞窟の壁画から現代芸術までのアートの歴史の一挙総覧を楽しむべきだろう。構成はフィクション仕立てで、最初のページに作品がひとつ掲げられ、つづく3ページを使って、その作家にまつわる短い物語が書かれている。だから微妙に虚実が混ざっているのであるが、それがかえって、その時代やアーティストの様子を浮かび上がらせてくれていて面白い。

いろいろ気になる作品もあるが、まずびっくりしたのは、やはりレオナルド・ダ・ヴィンチとそれ以前の作品のあきらかな「落差」だ。これは歴史順に作品が並んでいることの効能だろうが、ダ・ヴィンチがまごうことなき天才であったことがよくわかる。なんというか、それ以前とまったく「モノが違う」のである。

アルテミシア・ジェンティレスキ、ベルト・モリゾカミーユ・クローデルといった女性アーティストを丁寧に取り上げているのも良い(ロダンではなくクローデル、というところがポイントだ)。ジェンティレスキのダイナミックな描画も素晴らしいが、個人的にはモリゾの抒情的な作品に惹かれるものがあった。クローデルはもちろんぶっちぎりだ。

作品はそれだけを見て楽しむ、という考え方もある。だが、やはりアーティストのエピソードや時代背景、アート全体の大きな潮流を知っていたほうが、いろいろと楽しみも広がるのだと、本書を読んで再確認できた。いわばどんな作品も、さまざまな「文脈」の中に置かれているのであって、単立した作品などないのだから。

 

【2493冊目】岡崎京子『うたかたの日々』

 

うたかたの日々

うたかたの日々

 

 

ボリス・ヴィアンの幻想的で悲痛な恋愛小説を漫画化するという、考えようによっては暴挙としかいいようのない企画だが、描き手が岡崎京子というのが、蓋を開けたらぴったりハマっている。というか、ヴィアンの作品自体はまさに文学でしか表しようのない世界観なのであるが、それを漫画でしか表し得ない世界観で置き換えているところに、岡崎京子という才能の凄みを感じる。

音楽に基づいて自動的に調合するカクテル・マシーン、噛みつくネクタイに暴れるソーセージといった「小道具」がおもしろく、現実であって現実離れした「もうひとつのパリ」になっている。ただし、死にゆくクロエの胸に咲く睡蓮の花、という圧倒的に美しいイメージだけは、小説の中で、言葉の並びによって読み取るのがよさそうだ。

【2492冊目】河上肇『貧乏物語』

 

貧乏物語 (岩波文庫 青132-1)

貧乏物語 (岩波文庫 青132-1)

  • 作者:河上 肇
  • 発売日: 1965/10/16
  • メディア: 文庫
 

 

タイトルは「物語」とあるが、今で言えば「貧困論」。まだ「貧困」という言葉が使われてさえいなかった大正5年の日本で顕在化しつつあった「貧乏」と格差の問題を熱く論じた一冊だ。

内容は、ラウントリー(本書ではローンツリー)やブースの貧困研究を引きつつ、一方ではマンデヴィルの『蜂の寓話』にアダム・スミスの『道徳感情論』『国富論』にも言及して展開される王道ど真ん中の貧困論。現代社会でも十分に通用する水準となっている。

著者の示す貧困対策のポイントは、富裕層の贅沢を廃し、その分の生産力を貧困者向けの食糧や日用品に振り向けることにある。なぜなら、経済学では「需要があってはじめて供給がある」とされるが、需要はそれを裏付ける経済力があってはじめて需要となる。そのため、生産に携わる者は、豊かな資力をもつ富裕層のための生産を中心とし、生活必要品より無用の贅沢品がどんどん生産されるようになってしまうというのである。

 

このあたりの考え方の正当性については、個人的には疑問がなくもない。そもそも贅沢品の生産だって、それに携わっているのは決して裕福ではない工場労働者であろうから、贅沢品の供給を減らすことはかえってそうした人々を追い込むことになりはしないか。例えば江戸時代だって、贅沢を禁止した天保の改革享保の改革はかえって経済や文化を停滞させたのではなかったか。思えば著者の発想は、例えば松平定信あたりに近い。むしろ資産の移転には、強力な累進課税がもっとも有効なのではないかと思う。

 

とはいえ、そもそもこの時代に「貧乏」に着目し、その問題点を広く伝えた点で本書の功績は大きい。そして、現代というもうひとつの「貧困と格差の世」を生きるわれわれにとっても、本書の内容は無縁ではない。当時の文体が読みづらい方は、佐藤優が「現代語訳」を出しているようなので、そちらを覗いてみてはどうだろうか。

 

 

現代語訳 貧乏物語 (講談社現代新書)

現代語訳 貧乏物語 (講談社現代新書)

  • 作者:河上 肇
  • 発売日: 2016/06/15
  • メディア: 新書