自治体職員の読書ノート

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【2236冊目】村上春樹・川上未映子『みみずくは黄昏に飛びたつ』

 

みみずくは黄昏に飛びたつ

みみずくは黄昏に飛びたつ

 

 
《文体を作る》

「僕はもう四十年近くいちおうプロとして小説を書いてますが、それで自分がこれまで何をやってきたかというと、文体を作ること、ほとんどそれだけです」(p.120)

 



《文体が動く》

「文体が自在に動き回れないようでは、何も出てこないだろうというのが僕の考え方です」(p.228)

 



《無音の音》

「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない。それはすごく大事なことです」(p.36)

 



インターフェイス

「僕は登場人物の誰のことも、そんなに深くは書き込んでないような気がするんです。男性であれ女性であれ、その人物がどのように世界と関わっているかということ、つまりそのインターフェイス(接面)みたいなものが主に問題になってくるのであって、その存在自体の意味とか、重みとか、方向性とか、そういうものはむしろ描き過ぎないように意識しています」(p.247)

 



《ものを書く》

「ものを書くっていうのは、とにかくこっちにものごとを呼び寄せることだから。イタコやなんかと同じで、集中していると、いろんなものがこっちの身体にぴたぴたくっついてくるんです。磁石が鉄片を集めるみたいに。その磁力=集中力をどれだけ持続できるかというのが勝負になります」(p.26)

 



《影を見る》

「僕自身はこうしてリアリスティックに現実の世界で生きてはいるけれど、その地下には僕の影が潜んでいて、それが小説を書いているときにずるずると這い上ってきて、世間一般が考えるリアリティみたいなのを押しのけていきます。そういう作業の中に、僕は自分の影というものを見ようとしているんじゃないかな。ただ、それは小説家である僕にとっては、物語を語るという作業の中で可能なことなんだけど、普通の人にはなかなかできないことかもしれない。つまり僕は物語を書くことによって、多くの人のためにその作業を代行しているのかもしれない」(p.260-261)

 



《物語と解釈》

「頭で解釈できるようなものは書いたってしょうがないじゃないですか。物語というのは、解釈できないからこそ物語になるんであって、これはこういう意味があると思う、って作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなの面白くもなんともない。読者はガッカリしちゃいます。作者にもよくわかってないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいくんだと僕はいつも思っている」(p.116)

 



《くぐらせる》

「自我レベル、地上意識レベルでのボイスの呼応というのはだいたいにおいて浅いものです。でも一旦地下に潜って、また出てきたものっていうのは、一見同じように見えても、倍音の深さが違うんです。一回無意識の層をくぐらせて出てきたマテリアルは、前とは違うものになっている」(p.39)

 



《無意識に訴える》

「あらゆる国のあらゆる民族の神話には、たくさんの共通するものがあります。そういう神話性が各民族の集合的無意識として、時代を超えて脈打っていて、それがまた地域を越えて世界中でつながっている。だから、僕の小説がいろんな国で読まれているとしたら、それはそういう人々の地下部分にあたる意識に、物語がダイレクトに訴えかけるところがあるからじゃないかなと考えています」(p.108)

 



《物語の善性》

「物語の「善性」の根拠は何かというと、要するに歴史の重みなんです。もう何万年も前から人が洞窟の中で語り継いできた物語、神話、そういうものが僕らの中にいまだに継続してあるわけです。それが「善き物語」の土壌であり、基盤であり、健全な重みになっている。僕らは、それを信頼し信用しなくちゃいけない」(p.337)

 

【2235冊目】圓生和之『一番やさしい地方公務員制度の本』

 

一番やさしい地方公務員制度の本 (一番やさしいシリーズ)
 

 

「どうして公務員はこんなにも人事異動が気になるのでしょうか。筆者は、遅い選抜のもと、仕事で報いる方式の人事異動がそうさせるのではないかと考えています」(p.66)

 

著者は兵庫県の人事課に10年在籍していた方とのこと。そのためか、本書は単なる条文の引き写しにとどまらず、制度の沿革から日本の公務員制度の特徴、あるべき地方公務員の姿までを幅広く描き出す一冊になっている。

特に、上で引用した「遅い選抜」「仕事で報いる」という説明には深く納得するものがあった。民間と比べて、日本の地方公務員は一般に出世が遅い。同期間で最初に「昇進する人としない人」の差がつくのは、アメリカやドイツでは3~4年。日本でも、スーパーなど大卒を多く採用する業種では同じくらい。平均でも7~8年で差がついてくる。それに対して、ある県の公務員の場合、これが14年くらいになるという。そこまで遅くなくとも、入庁10年目くらいまでは、同期横並びでヒラ職員、という自治体は多いのではないだろうか。

なぜこうした「遅い選抜」が行われるのか。著者は、地方公務員の人事異動の特徴が「仕事で報いる人事」であることがその理由であると指摘する。優秀な職員、高い業績を上げた職員に対して、民間では給与アップや昇進で報いるが、地方公務員は「人事異動の結果」で報いる。良い仕事ができると評価された職員は、次の異動先ではさらに難度の高い仕事が与えられ、その積み重ねが人事評価につながってくるのである。

人事異動については、人事経済学にいう「絶対的優位性」も面白い。これは、例えばAさんのあげうる成果が企画10、広報8で、Bさんは企画9、広報6だとする。この場合、AさんとBさん、どちらを企画部門、どちらを広報部門に配属するのが、組織全体として最適か、というような場面で登場する考え方である。

Aさんにしてみれば、自分が企画部門に行った方が高い成果があげられるのだから、自分が企画に配属されるべきだ、と思うだろう。だが、組織全体のパフォーマンスという点では、Aさんを広報、Bさんを企画に配属したほうがベターなのだ。その場合、成果を合計すると8(A:広報)+9(B:企画)=17となる。一方、Aさんを企画に配属すると、10(A:企画)+6(B:広報)=16となり、前者のほうが全体の成果は高くなるからである。

う~ん。こういう「人事ネタ」が面白く思えるのは、やはり私も人事異動が気になってしょうがない地方公務員だからなのだろうか。人事経済学の古典という『人事と組織の経済学』も読んでみようかな。

 

人事と組織の経済学

人事と組織の経済学

 

 

【2234冊目】羽田圭介『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』

 

コンテクスト・オブ・ザ・デッド

コンテクスト・オブ・ザ・デッド

 

 



又吉直樹との芥川賞同時受賞で有名になり、テレビにも出まくっていた著者の受賞代一作は、なんと「ゾンビ小説」であった。

ゾンビ化が進む日本を舞台に描かれるのは、日本の文壇事情、「空気を読む」ことばかりが大事にされる社会の風潮・・・・・・。つまりこれはある種の「風刺小説」なのである。

もっとも、読んでいて気になったのは、全体を通して、風刺にしては著者のメッセージが全面に出過ぎていること。最後の方で明かされる「ゾンビになる人の条件」も、申し訳ないが陳腐そのもの。夏目漱石がゾンビになって甦るなど、面白い方にいくらでも展開できそうなのに、パニック小説としても中途半端、残念な説教小説になってしまっている。だからケースワーカーの新垣が内心つぶやくこんなセリフも、出し方によっては深くうなずけたかもしれないが、この「コンテクスト」では平凡で安易なものにしか見えてこない。

「どの民間企業にも就職できたバブル期に、弁護士資格試験よりはるかに低レベルだった公務員試験に受かり今に至っているだけの、ここ以外の職場では使いものにならず意思の疎通もはかれない人間が、弁護士をさしてなんと言った? 同じ公務員でさえ、今の世代はバブル期よりも高い競争倍率を勝ち抜きこの職に就いている」(p.84)

 



筒井康隆ならこの題材をどう書いただろうかと、読みながら何度も思ってしまった。『大いなる助走』はゾンビなど登場しないが、はるかにクレイジーでスリリング、しかも痛烈な文壇批判になっている。この半分の量、この半分の登場人物で、この3倍濃密な作品が読んでみたい。

では最後に、今読んでいる本から、村上春樹が語っているコトバをひとつ著者にプレゼントしたい。なんでも書けばよいというものではないのである。

「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない。それはすごく大事なことです」(村上春樹川上未映子『みみずくは黄昏に飛びたつ』p.36)

 

【2233冊目】ユルゲン・トーデンヘーファー『「イスラム国」の内部へ』

 

「イスラム国」の内部へ:悪夢の10日間

「イスラム国」の内部へ:悪夢の10日間

 

 


「あなたの言うことは正しい。俺たちISは残忍なことをしている。だが、ISは公にそれをするが、あなたたち西側はそれを密かにやる。ISはイラク人を三万人ぐらい殺したかもしれないが、ブッシュは五〇万人を殺してるんだ」(p.292)

 



これは驚くべき本である。本書は、ドイツ人ジャーナリストの著者が、10日間にわたりIS(イスラム国)の内部に入り、取材を敢行した記録なのだ。

もちろん、西側諸国では初めての「内部取材」である。そのために著者は、ISに加わったドイツ人と長時間のチャットやスカイプ通話を行い、信頼を得て仲介を依頼。ISの最高指導者(カリフ)から入国許可と安全を保障する書面を得るのである。

そしていよいよ、緊張に満ちた10日間が始まる。常に死と隣り合わせの日々。だが、著者は身の安全のために取材の手を緩めることはない。宗教上の侮辱や冒涜をしないよう細心の注意を払いながら、同時にISの主張の欠陥やコーランとの矛盾を鋭く突く質問をガンガン繰り出すのだ。その手厳しさには、読んでいるこっちのほうがハラハラしてしまう。

一方で、著者は西側諸国のやってきたことにも疑問を呈する。本書の第2章ではこのように書いている。「戦争は富裕者がやるテロであり、テロは貧者がやる戦争である。このふたつの質的な違いを私はこれまでに見出したことはない」(p.31)

今もまだ、戦争は続き、テロも続いている。そのどちらが「正しい」ということもない、悪と悪との不毛な闘争。そこから抜け出すためのヒントを、著者は10日間の過酷な経験をもとに本書で示している。それはムスリムの融和であり、西側諸国が、いい加減に自国のエゴイズムと利権からアラブに手を出すのをやめることである。

本書はISに同情的な本ではないが、少なくとも西側メディアのゆがんだレンズから自由になり、両者のことを「素」で見て判断することを可能にしてくれる一冊である。その主張は、冒頭に掲げた引用のセリフに尽きる。著者に同行した、ラッカに住むモロッコ系ドイツ人アブー・ロートの言葉である。そしておそらくは、これがISの「内側」にいる多くの人々の主張なのだ。

【2232冊目】田中拓道『福祉政治史』

 

福祉政治史: 格差に抗するデモクラシー

福祉政治史: 格差に抗するデモクラシー

 

 

「日本の問題点は、行きすぎた新自由主義的改革によって富裕層と貧困層への二極化が生じたということではなく、失業・低所得層への行きすぎた保護や再分配が行われているということでもない。他国に比べて水準の低い公的福祉が維持されたまま、「インサイダー/アウトサイダーの分断」が顕在化し、それへの実質的な対応が進んでこなかった、という点にある」(p.272)

 



アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデン、日本。6か国の福祉をめぐる政策と政治の変遷をたどり、日本の未来に向けた提言を行う一冊。

戦後の先進国6か国は、それぞれに異なる事情を抱えてはいたものの、そこには共通する時代的な背景がある。著者によればそれは「ブレトンウッズ体制」と「フォーディズム」であるという。特にフォーディズムに代表される大量生産社会は、男性優位の雇用環境を生み出し、熟練労働者からなる労働組合と使用者による労使協調がなされた。

ところが時代が変わり、先進国は生産拠点を途上国に移行、自国内の主産業はサービス業や小売業、福祉・医療関係が主流になっていった。そんな中、各国はそれまでの福祉制度を大きく見直していく。また、少子高齢化も各国で進行したが、これも従来の福祉システムに大きな変更を迫るものであった。

こうした変化に各国がどう対応したか、そして日本はどこで「失敗」したのかを検証したのが本書である。具体的には、日本は公的福祉の比重が低く、その分を担ってきたのが、所属する企業の福利厚生であった。戦後の日本人は、中心となる「男性稼ぎ手」が正社員となって企業に所属し、妻は専業主婦となって家事や育児に専念し(ここで家庭もまた、子育てや介護などの機能を担うことになる)、企業がほぼ丸抱えでその面倒を見たのであった。政権与党の自民党は、そこからこぼれていく自営業者や中小零細企業、農家などに特化して、手厚い保護を行えばよかった。

ところがこのモデルは、先ほど挙げたフォーディズムの解体によって事実上時代遅れのものになっていった。製造業から小売・サービス・ケア産業が国の産業の中心となり、これらは労働集約型の、いわば「女性向け」の仕事である。普通に考えれば、ここで「男性稼ぎ手中心モデル」から「夫婦共稼ぎモデル」への移行を想定し、それに見合った社会保障制度を構築する、というのが政治の発想というものだろう。事実、多くの国ではそのような政策のシフトチェンジが行われた。取り残されたのは、そう、日本である。

まあ、これくらいにしておこう。他国の政策だってカンペキではないし、人口規模や社会、文化が異なるのだから、同じ政策を採用すればよいというものでもない。だが、とにかくこれほどまでに財政赤字が積み上がり、これほどまでに少子化が進行し、これほどまでに所得再分配に失敗したのは、先進国では日本だけなのだ(個人的には、そもそも日本が「先進国」なのかどうか、最近は疑問に思っている)。本書の210ページには驚くべき表が載っている。年齢別に、再分配後の所得のジニ係数(所得格差を表す係数)を調べ、1979年から10年ごとに並べたものなのだが、1979年から2009年までの30年間で、65歳以上の高齢者のジニ係数は減っている(つまり所得格差が解消しつつある)。一方、39歳未満のジニ係数は、同じ30年間で増えているのである。これはいったい、どういうことか。

「全般的に福祉が縮減されているのではなく、中高年層は相対的に保護されている。(略)若年層や女性といった再生産を担う層のあいだに格差が広がることで、少子化にも歯止めがかからなくなった」(p.210)

 
最後に、ちょっと気になったことを1つ。著者はリバタニアリズムを権威主義との対立軸として取り上げ「物質的な安定よりも政治参加、ジェンダー平等、ライフスタイルの自己決定、エコロジーなどを重視する考え方」(p.124)としている。だが、リバタニアリズムを事典で調べると、こんなふうに書いてあるのである。

福祉国家のはらむ集産主義的傾向(→コレクティビズム)に強い警戒を示し,国家の干渉に対して個人の不可侵の権利を擁護する政治思想」(ブリタニカ国際大百科事典)

 

 

「個人の自由権を絶対的に重視し、それに制約を加える国家の役割を最小限度にとどめようとする自由至上主義の思想」(知恵蔵)

 

決定的に矛盾しているわけではないが・・・・・・むしろ著者のいうリバタニアリズムは、リベラリズムなのではないかという気がする。ちなみに「リベラリズムが政府による自由市場への介入と所得の再配分を推進し、社会的平等を重視する福祉国家の制度的基礎を提供したのに対し、1970年代以降の米国において、個人権的自由権を絶対的に擁護する立場から、国家の権力と機能を制限し、「最小国家」の創設を求める思想としてリバタリアニズムが登場してきた」(知恵蔵)とのことで、国家の干渉を最小化するのがリバタニアリズム。となると、著者のいう「政治参加」「エコロジー」などは、最小国家論とは矛盾しないのだろうか?