自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2169冊目】橋爪大三郎・大澤真幸ほか『社会学講義』

 

社会学講義 (ちくま新書)

社会学講義 (ちくま新書)

 

 



社会学のイロハを、サブジャンルごとにまとめた概説書。「社会学概論」「理論社会学」「都市社会学」「文化社会学」「家族社会学」「社会調査論」の6章建てになっている。

コンパクトな分量ながら、それぞれのジャンルごとの「問題意識」が浮上するように書かれているので、ざっと読めばだいたいの論点や考え方がつかめるようになっている。特に冒頭の「社会学概論」は、短いながらよくまとまっており、社会学のエッセンスを濃縮させたようなくだりになっている。

社会学は(略)でき上がった学問というよりも、「ものの見方」とでも言うべきものである」

 



橋爪大三郎のこのフレーズに、本書は尽きている。そもそも社会学が扱うようなテーマに、「答え」などあろうはずがない。あるのは「見方」であって、複雑に入り組んだ社会からどのようにして「問い」を浮かび上がらせるか、ということなのだと思う。ではどんな「見方」が本書では披露されているのか、という点については、以下の引用をお読みください。

「結論的なことを先に言っておけば、社会学は近代社会がもつ自己意識なのだということです」(理論社会学、大澤真幸

 



「結局、都市とは「社会が社会であること」が浮上してくる場所なのだということです」(都市社会学、若林幹夫)

 



「近代は、祭りを排除したのではなく、むしろそれを近代社会の一部として取り込み、再編成してきたのです」(文化社会学吉見俊哉

 



「現代の日本で起きている家族の個人化とは、喩えるならば、品揃えがあまりにも極端に少ない店で、お気に入りの服を選べと強制されているようなものだ」(家族社会学、野田潤)

 



社会学の重要な使命のひとつは、複雑かつ「わい雑」な人々の生活をそのまま丸ごととらえることにあると思っています」(社会調査論、佐藤郁哉

 



【2168冊目】スティーヴン・キング『ミスター・メルセデス』

 

 

 

 
ホラーの名手、キングの「ミステリー作品」。ミステリー小説に贈られるエドガー賞を受けたことで話題になった。

ミステリーといっても、古典的な犯人捜しではない。探偵役の元刑事と犯人の視点が切り替わりつつ、コンサート会場での大量殺人計画というクライマックスに突き進むという、ディーヴァーばりのジェットコースター・サスペンスである。

仕事探しのため市民センターの前に並ぶ市民の列にメルセデス・ベンツで突っ込み、8人の死者を出した「ミスター・メルセデス」。秋葉原にトラックで突っ込んだ加藤智大をどうしても連想してしまうが、この事件では犯人はそのまま逃げおおせ、事件は迷宮入りに。ところが、担当だった元刑事ホッジスの元に届いた一通の手紙がきっかけで、二人のデッドヒートが始まる。

退職刑事ホッジスをめぐる人間ドラマ、犯人であるブレイディの狂気と間抜けさで、何が起きるかわからない展開が最後まで続く。とんでもないどんでん返しがあるわけではないが、ストレートな犯人追跡サスペンスを一気に読ませる剛腕と、その細部にホッジスや友人の高校生ジェロームらの人間的な魅力を織り込む繊細な手業に、ただただ舌を巻く。特に、単なる脇役としか思えなかったホリーの活躍ぶりには驚いた。

それにしても、「ホラーの帝王」キングももはや70歳。だが退職刑事ホッジスの描写をみると、キングの年齢が衰えどころか武器になっているのを感じる。しかもこの「ホッジス元刑事」ものは、連作が予定されているとのこと。まったく、なんという体力、なんという創造力か。ホッジスとは違って、キングに「退職」の日が来ることはなさそうだ。

【2167冊目】伊藤比呂美『女の一生』

 

女の一生 (岩波新書)

女の一生 (岩波新書)

 

 
娘であること。セックス。恋愛。仕事。結婚。出産。育児。不倫。夫。姑。更年期。閉経。介護。老い。死。

女(女性、と書きたくなるが、いちおう本書に揃える)による、女のための人生相談。酸いも甘いもかみ分けたベテランの「女」による、時に親身、時にバッサリの回答が面白い。

女の一生とは大変なものだと、改めて思う。だが、それはそれでなんだか楽しそう、とも思えてくる。苦労した者同士だけが語れる、しんみりとした会話を、ちょっとだけ盗み聞きした気分。

性教育とは、「あたしはあたし」という考え方とコンドームを、武器として持たせて、人生の戦いに送り出すようなものです。生きて帰ってこいと祈りをこめて」

 

 

「毎朝起きたとき、「今日は何食べたいかなあ」と考える。そしてその日はかならずそれを食べる。それを繰り返していくうちに、何を食べたいか、つまり自分の意思について考えるようになり、ハッキリとわかるようになり、「あたしはあたし」ができるようになるのです」

 



「嫉妬の本質は、自分との戦いです」

 



「日本の女、地声で話そう」

 



「職があり、家庭を持つ女に言います。職を手放してはいけません」

 



「「世間体」なんてものは存在しません。人がきゅうくつに生きるために作りあげた言葉です」

 



「最終的に、育児の目標は、自分は自分でいいのだ、という自己肯定寛を子どもに植えつけてやること」

 



「基本的に、子どもは親の思いどおりにはなりません。違う人間だからです」

 

 

「ところが、結婚には麻薬的な楽しさがありまして、何なんでしょう、この楽しさは、単に相性がいいとか彼が素敵とかなんていう単純なものではなく、人間の根本に、群れたいという本能めいたものがうごめいているからと思えてしかたがない」

 



「ギャンブル夫。アルコール夫。DV夫。協調できない夫。支配の好きな夫。まだある、いろんな夫たち。それぞれ、夫本人は悪くない。それぞれ、夫は病気や病的な性格にとらわれているだけなんだと考えることができる。支えることこそ妻の役目、と人もあなたも考えるかもしれない。でも、(略)自分には自分の道があるよ、もっとニコニコして、パートナーと対等に人生をやっていける道が、とわたしはあなたに言いましょう」

 



「介護の基本はただ一つです。人には人の介護のかたちがある、ということ」

 



(「家庭も仕事も、本当にこのままでいいのかという疑いが・・・」という問いに対して)ここで一歩を踏み出すと、焼け野原になります、人生が」

 

 

「夫がいやだ、夫がうっとうしいと思いながら生きている。家庭の中で会話もろくにない、なんて孤独と思っている。(略)ところが、夫が妻より早く亡くなってしまう。そのときに、今まで孤独と思っていたものは、孤独なんかじゃなかった、ただの刺激だったと思い知ることになり、スケールのぜんぜん違う、ほんとの孤独が、大きくぽっかりとまっ黒な口を開けて待っている」

 



「後悔はします。どんなに介護しても、します。やり遂げたなんて思ってるような介護は、やり過ぎです」

 




【2166冊目】読書猿『アイデア大全』

 

 

これほどの期待感をもって本を読んだのは久しぶり。読後感が、その期待感を大幅に上回ったのは、さらに久しぶり。

サイバー空間の奥に棲む希代の読書家が、ついに本を書いたというのだから、期待が膨らむのもやむをえまい。その内容は、入口はさまざまなアイデア創出術という敷居の低さながら、読み進むほどに、その根っこが古今東西の知脈につながってくるというもの。「実用」と「人文」をつなげた、これまでになかったタイプの本だ。

「しかし人の営みがそうであるように、知とそれを生み出す営みは孤立しては成り立たない」

 
42の「発想法」は、まさに変幻自在の「知のハンドリング」のカタログだ。不愉快なことを書き出す、ひたすら書き続ける、思考の枠組みを壊す、メタファーやアナロジーに遊ぶ……。果ては生命に学び、夢から着想を拾う。まさに思考を裏返し、振り回し、その奥底からまだ見ぬ何者かを引っ張り出すためのメソッドのオンパレード。

特に面白いと感じたのは、「それは、本当は何なのか」と言う問いを重ね続ける破壊力抜群の「P・K・ディックの質問」、シンプルだが応用力の高そうな「さくらんぼ分割法」、アナロジー発想法を極めた「等価変換法」、そして究極の発想法にして世界解読術と思える「カイヨワの〈対角線の科学〉」。ドキッとしたのは「モールスのライバル学習」の中の、次のフレーズ。あらたな発想を生み出すにあたり、一番の味方であって、同時に一番の敵となるのは「自分」なのである。

「自分が大切に思っているもの、今の自分を決定づけた大切な体験など、自分にとって宝物に値するものこそ、我々の発想を制約し枷をはめる」

 
繰り返し読みたい、最高の「実用人文書」。知がつながっているものであり、来歴をもち、実際に役に立ち、未来につながるものであることが、これほど実感できる本はない。

【2165冊目】デニス・ルへイン『運命の日』

 

運命の日(上)〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

運命の日(上)〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

 

 

運命の日(下)〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

運命の日(下)〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

 
日本では、公務員はストライキが禁止されている。当たり前じゃないか、と思われるかもしれないが、本来、ストライキは労働者が自らの権利を守るための強力な手段。それが奪われている以上、公務員の身分や待遇は確実に保証されなければならない。公務員の給料は高すぎる、身分が保証されていて、福利厚生も手厚く優遇されすぎている、という批判があることは承知しているが、だったらストライキ権を公務員にも認めるべきだ、と言いたい。

本書は、1919年にボストンで起きた市警のストライキを題材とした長編小説だ。警察が機能しなくなったボストンではすさまじい暴動が起き、街はまさしく無政府状態となった。公務員の中でも、警察官(と、消防士)のストライキは、社会に致命的な影響をもたらす。そのことが、本書を読むと肌身でわかる。

そもそも、スト権を取引材料として待遇改善を求めることは、警察官という立場から考えれば、本来は許されないことである。だが、その給料が貧困レベル以下であり、上司の気分次第で左遷されたりクビになるような不安定な立場に置かれ、組合運動をすれば解雇されるような、つまりは本書で描かれているような状況に置かれれば、実力行使やむなし、と考える連中が出てきてもおかしくない。いくら公僕と言っても、彼らも(我々も)、しょせんは人間なのだから。ちなみに日本では、警察官等の一部の職種については、労働組合の結成自体がそもそも禁止されている。

本書はこのボストン市警ストライキ事件をクライマックスに、警部の息子でストライキを主導するダニー・コグリンを一方の軸に、そしてオクラホマ州タルサでギャングを殺してボストンに逃げてきたルーサー・ローレンスをもう一方の軸に、20世紀初頭アメリカの矛盾と理不尽の中で生き抜く人々の強さを描いた一冊だ。社会主義者への攻撃、すさまじい黒人差別の実態がこれでもかと描写されるが、だからこそ、その中でダニーとルーサーの、人間としての温かさと強さが光る。

ルへイン渾身、読み応えたっぷりの人間ドラマ。傑作だ。