自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2165冊目】デニス・ルへイン『運命の日』

 

運命の日(上)〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

運命の日(上)〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

 

 

運命の日(下)〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

運命の日(下)〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

 
日本では、公務員はストライキが禁止されている。当たり前じゃないか、と思われるかもしれないが、本来、ストライキは労働者が自らの権利を守るための強力な手段。それが奪われている以上、公務員の身分や待遇は確実に保証されなければならない。公務員の給料は高すぎる、身分が保証されていて、福利厚生も手厚く優遇されすぎている、という批判があることは承知しているが、だったらストライキ権を公務員にも認めるべきだ、と言いたい。

本書は、1919年にボストンで起きた市警のストライキを題材とした長編小説だ。警察が機能しなくなったボストンではすさまじい暴動が起き、街はまさしく無政府状態となった。公務員の中でも、警察官(と、消防士)のストライキは、社会に致命的な影響をもたらす。そのことが、本書を読むと肌身でわかる。

そもそも、スト権を取引材料として待遇改善を求めることは、警察官という立場から考えれば、本来は許されないことである。だが、その給料が貧困レベル以下であり、上司の気分次第で左遷されたりクビになるような不安定な立場に置かれ、組合運動をすれば解雇されるような、つまりは本書で描かれているような状況に置かれれば、実力行使やむなし、と考える連中が出てきてもおかしくない。いくら公僕と言っても、彼らも(我々も)、しょせんは人間なのだから。ちなみに日本では、警察官等の一部の職種については、労働組合の結成自体がそもそも禁止されている。

本書はこのボストン市警ストライキ事件をクライマックスに、警部の息子でストライキを主導するダニー・コグリンを一方の軸に、そしてオクラホマ州タルサでギャングを殺してボストンに逃げてきたルーサー・ローレンスをもう一方の軸に、20世紀初頭アメリカの矛盾と理不尽の中で生き抜く人々の強さを描いた一冊だ。社会主義者への攻撃、すさまじい黒人差別の実態がこれでもかと描写されるが、だからこそ、その中でダニーとルーサーの、人間としての温かさと強さが光る。

ルへイン渾身、読み応えたっぷりの人間ドラマ。傑作だ。

【2164冊目】高橋源一郎『読んじゃいなよ!』

 

 
明治学院大学「高橋ゼミ」のやり取りを再現した一冊。鷲田清一『哲学の使い方』、長谷部恭男憲法とは何か』、伊藤比呂美女の一生』の3冊の岩波新書を取り上げ、著者に実際に来てもらって対談、対話をするという、とんでもなく贅沢な授業の記録である。

鷲田清一との「哲学教室」では、「哲学の本は二割分かったら結構行けている」という発言もあったりしてちょっと安心するのだが、一方で「絶対手放してはいけないもの、見失ってはいけないものと、あればあるに越したことはないけれど、なくてもいいものと、端的になくていいもの、そして最後に絶対あってはいけないこと」を区別できる眼力をもつということが「哲学する」ことである、というような、これまで聞いたことも読んだこともないが深く納得できるコメントもあったりして、いきなり目からウロコがボロボロ落ちる。「問題とは解決、除去されなければならないもの、課題とはそれに取り組むこと自体に意味があるもの」という指摘も面白い。

長谷部恭男との「憲法教室」は、安易な憲法礼讃、デモクラシー礼讃ではなく、その危険性にもきっちり触れられているのがよかった。徴兵制を敷いて国民を戦争に動員するために社会福祉政策が生まれたのだから、今の世の中で社会福祉が後退するのは必然である、とか、「憲法は良識に戻るためのもの」といった指摘など、唸らされるものがあった。だが一番びっくりしたのは、憲法9条が文字通りの意味で受け取るとなると特定の価値観をすべての国民に押しつけていることになり、立憲主義と衝突する(だから解釈が必要になる)というくだり。う~ん、これは、気づかなかった。

そしてトリが、伊藤比呂美との「人生相談教室」だ。実はこれが一番ぶっとんでいて面白く、『女の一生』も絶対読もうと心に決めたのだが、特に学生の「病んだ」問いに対する伊藤比呂美の答えが絶妙。特に「何をしてもつまらない」という学生に対するくだりが素晴らしいので、これはそのまま引用してみたい。

「初めからつまらないんだっていう感想を持っちゃ駄目。そうすると、捨てちゃって、それっきりだからね。貪欲になって、面白いものを探してやろうっていう気持ちがないと駄目なんですよ。若い人たちって、本を読んでいても、つまらないの一言でもう閉じちゃうのね。読むコツは違う。読むコツっていうのは、この本の中に、一言でいいから、自分の、あれ? って思う言葉を見つけて、そこから入り込んでいくことなのね。全体を読んでも、もちろんつまらない。つまらなくていい。だいたい、あなた方は何も考えていないし、教養もないし、そんな人たちが、我々が一所懸命作ったものを分かるわけがないの、初めから。でも、つまらないところから見つけていくっていうその努力は、人生の上でも有効だと思う。これもつまらない。あれもつまらない。あいつもつまらない。こいつもつまらない。でもその中の何かはきっと心にひっかかる。あ、もう少し知りたいなって思う。それで近づく。人ならしゃべる。そのバックグラウンドの文化はどうかなと。バックグラウンドのヒストリーはどうかなって知ってみる。これだと思いますね」

 



……高校生や大学生の頃の自分に、聞かせてやりたい。

【2163冊目】ロバート・B・ライシュ『最後の資本主義』

 

最後の資本主義

最後の資本主義

 

 
政府があって、それとは独立して「自由市場」がある。政府は「自由市場」に手を突っ込むのではなく、市場それ自体の原理に任せなければならない・・・・・・

嘘っぱちである。政府とは別個に存在する「自由市場」など、フィクションにすぎない。自由市場とは自然にそのへんから生えてくるようなものではない。それはまぎれもなく、政府が「創造する」ものなのだ。このことが理解できれば、本書の核心をつかみ取ることができる。

問題は「市場原理に任せるかどうか」ではなく、「政府がどういうルールの市場を作るか」なのである。具体的に著者が挙げるのは、自由市場を成り立たせるための5つの要素、すなわち「所有権」「独占」「契約」「破産」「執行」だ。この5つについて政府がルールを定めなければ、自由市場は成立しない。

では、現代の「自由市場」は、いかなるルールに支配されているか。アメリカのそれは一言で言えば、富裕層による、富裕層のためのルールである。企業トップの極端な巨額報酬。大企業に都合の良い貿易のシステム。マネーゲームに狂った金融機関を救済するために巨額の税金を投入する一方、住宅を追い出される人々は救済されない。富裕層や巨大企業は、巨額の資金を投じてロビー活動を行い、その結果さらに富裕層を優遇したルールが作られる。その結果、アメリカでは富裕層の所得は増え続ける一方、労働者の所得は低下を続けてきた。

だが、こんな「資本主義」が長続きするはずはない。中間層が衰退し、購買力が低下すれば、その結果は企業の売上を直撃する。富裕層だけで経済を回すことはできないのだ。したがって、このまま事態が進めば、やってくるのは「資本主義の最後」である。だが、それではいけない。もっと別のルールを市場に適用しなければならない、と著者は主張する。

そのための「処方箋」も、本書では提示されている。驚いたのは、ベーシック・インカムの導入が真正面から論じられていたこと。アメリカでは禁句なのかと思っていたのだが、案外この制度は、共和党を支持する保守層に受けがいいらしい。「ベネフィット・コーポレーション」という、株主だけではなく幅広いステークホルダーを重視する企業の登場にも注目だ。

本書は、富裕層への富の集中が極端に進んだアメリカの状況を説明するもので、その内容がそのまま日本にあてはまるものではない。だが、グローバリズムとはこうしたアメリカ型の市場経済の進出であり、その影響は日本でも、四半期決算や社外取締役の増加、企業トップの高額報酬などにすでに表れている。日本は今後、このままアメリカの後を追って「資本主義の最後」まで突っ走るのか、あるいは中間層に富を還流させる「最後の資本主義」に到達することができるのだろうか?

【2162冊目】デニス・ルヘイン『ミスティック・リバー』

 

ミスティック・リバー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ミスティック・リバー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 
ジャンルとしてはミステリーになるのだろうが、それにしても、重い。11歳の頃の痛ましい経験が、25年後の「今」に残響し、とんでもない悲劇をもたらしていく。

25年前は11歳の少年だったショーン、ジミー、デイヴ。ショーンは刑事になり、ジミーは裏社会の住人になる。そして、ニセ警官によって誘拐され、4日後に逃げ出したデイヴは、暗い過去を振り切るように社会人としての生活を営んでいる。だがジミーの娘ケイティが殺害され、その捜査をショーンが担当、事件の夜にデイヴが血まみれの服で帰宅したことから、かつての因縁の糸がふたたび絡み合い・・・・・・

誰がケイティを殺したのか。デイヴは問題の夜、何をしていたのか。不幸な偶然が重なり合い、物語はとんでもない方向に転がりだす。特にデイヴの妻シレストがジミーに「血のシャツ」の話をするあたりからの数章は、あまりのすさまじい展開で本を置くことができなくなった。

人は過去から自由になることはできるのか。わずかなボタンの掛け違いが、大きく人生を変えていく。その絶望と不条理の奥に、わずかに見える希望の光。名作である。ちなみに読了後、クリント・イーストウッドが監督した映画も観たが、こちらもすばらしかった。特にジミーを演じたショーン・ペンが最高だ。

【2161冊目】小澤祥司『ゾンビ・パラサイト』

 

ゾンビ・パラサイト――ホストを操る寄生生物たち (岩波科学ライブラリー)

ゾンビ・パラサイト――ホストを操る寄生生物たち (岩波科学ライブラリー)

 

 
ホラー小説のようなタイトルだが、中身は純然たるライフ・サイエンス。他の生き物の「内部」に棲みつき、宿主を操る寄生生物を扱った一冊だ。

例えば、冬虫夏草菌の一種であるO・ユニラテラリスに感染したアリは、いったん地上に落下したあと地上25センチくらいの高さまで木や草をよじ登り、決まって正午頃に、葉っぱの裏側に大あごで食いついて数時間後に絶命する。地上25センチという場所はちょうど湿度が高く菌の繁殖に適している。葉の裏は菌が成長するための土台となる。すべてはまるで計算づくのように、菌がアリを「操って」いるのである。

寄生生物が、生態系のサイクルの一部を担っているケースもある。ハリガネムシに寄生されたカマドウマは、渓流に自ら飛び込んで「自殺」する。これを魚が食べることで、他の水生昆虫が捕食されず、そのため水生昆虫の餌である藻類が適度に減り、落ち葉の分解も進む。つまりカマドウマの「飛び込み」が森林の生態系と河川の生態系をつないでいるのだ。

まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」の世界だが、このような精妙なエコシステムに寄生生物が組み込まれているというのが面白い。一方で気になってくるのが、では人間と寄生生物はどんな関係があるのか、ということだ。この点でびっくりしたのが、ネコを終宿主とするトキソプラズマという原生生物の存在だ。

トキソプラズマはネコの糞便などからヒトに感染し、これまでは妊婦や免疫不全者以外は感染しても危険性はないとされていた。だが本書によれば、最近の研究では、なんと統合失調症患者にトキソプラズマ感染者の比率が高いと言われているという。幼少期にネコを飼っていた場合、青年期に統合失調症双極性障害躁うつ病)を発症する割合が優位に高いという研究があるらしいのだ。

だが、考えてみれば人間だけが寄生生物と無縁でいられるワケはないのである。今はトキソプラズマ程度でも、そのうち突然変異などで、人間を「食う」ゾンビ・パラサイトが出現してもおかしくない。そんなことまで考えてしまう、なかなか刺激的な一冊だった。