自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2160冊目】榎本まみ『督促OL修行日記』

 

督促OL 修行日記 (文春文庫)

督促OL 修行日記 (文春文庫)

 

 
朝から晩まで、客には怒鳴られ、上司には叱られまくるストレスフルな仕事、それが「督促」。本書は、そんなハードな職場で生き抜いてきた著者による「ストレス職場を乗り切る方法」を結晶させた一冊だ。

そもそもこんな職場があってよいのか? という疑問はなくもないが、実際にこういう職場がたくさんあるのはよく知っている。地方自治体でも税や保険料の督促を担当する部署や、教育委員会で学校や教師へのクレームを受ける部署など、メンタル的にハードな職場はたくさんある(若いうちならさっさと転職もできるだろうが、中年すぎてからそうした職場に初めて異動したりすると、これは悲劇である)。本書はそうした、官民問わずメンタルを削られ続ける「感情労働」の職場にいるすべての人にとっての必読書だ。

「お金を返してください」ではなく「入金できる日はいつですか?」と質問する(人間の脳は、疑問を投げかけられると無意識にその回答を考え始める)、「怒鳴られて固まってしまう場合は、足をもう一方の足で踏んづけるか、ぐっと足を踏ん張る」(足を整えることが心を整えることにつながる)、あるいは「怒鳴られて頭が真っ白になった時のために、応対の決まり文句を目に見えるところに貼っておく」(とりあえず黙ってしまうことは回避できるし、読んでいる間に冷静さを取り戻せる)……。

本書にはこうした、すぐにでも使える実践テクニックが満載だ。だが一番大事なのは、なんといっても自分の心を守ること。その意味で即効性がありそうなのは「悪口ノート」。これは、客に言われた悪口をノートに書き留め、「悪口でノートが一冊埋まったら自分にご褒美をあげる」と決めておく、というものだ。これによって「次はどんな悪口を言われるか……」が楽しみになる、というのは少々出来過ぎに思えるが、でもこれは私の経験から考えても効果絶大だと思う。ストレス源である「罵詈雑言」を、こうすることによって客観視でき、自分のメンタルへの「直撃」を避けることができるからだ(ちなみに私の場合は、突拍子もないクレームや悪口を職場内でネタにしようと思って聞くことにしている。そうすると、悪口が面白くさえ思えてくる)。

心を病むまで続けるくらいなら、さっさと辞めたほうがよい。だが、辞めるくらいなら、まずはここに書かれたノウハウを試してみてもよいのでは。なにしろ著者も書いているとおり、営業のノウハウ本は山ほどあるが、督促のノウハウ本はこれ一冊だけなのだから。


【2159冊目】中村文則『王国』

 

王国 (河出文庫 な)

王国 (河出文庫 な)

 

 



前に読んだ『掏摸[スリ]』の姉妹編とのことだが、内容はほぼ完全に独立している。というか、前作の内容自体ほとんど覚えておらず、超重要人物で本作にも出てくる「木崎」の存在すら、すっかり忘れていた。われながら呆れたものだ。

おぼろげに覚えているのは、前作の主人公がスリ師であり、ひどく孤独な人物だったということくらい。そして、本書の主人公であるユリカもまた、いろんな意味で孤独である。セックススキャンダルを演出する「プロ」なのだが、それ以外のほとんど何も、彼女の心の中には存在しない。唯一あるのは、心臓移植が必要な少年、翔太の存在なのだが……

闇社会の中で生きるユリカ、そのボスである矢田、そして「化物」と呼ばれる男、木崎の三者をめぐる、陰惨なパワーゲーム。そこには何の救いもなく、ただひたすらに荒涼とした風景が広がるばかり。そんな世界観の圧倒的な質感を生み出しているのが、無駄がなくスリリングな文体だ。緊張の糸を一度も切らさず、最後まで読み切らせる筆力を堪能した。

【2158冊目】マット・リドレー『やわらかな遺伝子』

 

やわらかな遺伝子 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

やわらかな遺伝子 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 
人間は、遺伝子によってすべての行動がプログラムされたロボットか。あるいは、環境次第でいかようにも変わりうる「タブラ・ラサ(まっさらな板)」なのか。本書はこの一大難問を、最新の生物学の知見から解き明かした一冊だ。

別々の養親に育てられた一卵性双生児の研究からは、まったく育てられ方が違っても、二人には驚くほどの類似性が見られることがわかっている。これを見ると、やっぱり人間は「生まれ」によって決まるのだと思えるだろう。一方、生まれたてのひな鳥は最初に見た相手を親だと認識し、その後をついて回る。この「刷り込み」という現象は、ひな鳥が「白紙」の状態だったからこそ起こるものではなかろうか。

だが、この考え方はどちらもおかしい、と著者は言う。問題は「生まれか育ちか」の二者択一ではないのである。そもそも学習がなぜ成り立つかといえば、学習するという機能が遺伝情報の中に組み込まれているからにほかならない。さらに言えば、遺伝子はもともと膨大な情報をもっていて、その中のどの部分が活性化するかは、環境によっても左右される。

確かに、すべての要素は遺伝子の中にある。だが、どの要素が活躍するかを決める遺伝子のスイッチは(それ自体も遺伝子なのだが)、環境によって押されることもあるのである。これがつまり、著者の言う「生まれは育ちを通して」、つまり本書の原題「NATURE VIA NURTURE」ということなのである。

【2157冊目】長谷部恭男『憲法学のフロンティア』

 

憲法学のフロンティア

憲法学のフロンティア

 

 
憲法」という言葉がタイトルに出てくる本といえば、法学者による解説書か、護憲もしくは改憲どちらかに染まったイデオロギー本がほとんどで、一般読者が読んで面白い本はそれほど多くない。本書はその、数少ない「素人が読んでも面白い」憲法の本である。ただし、決して「簡単な」本ではない。それなりに自分で論理を組み立てながら読んでいかないとあっという間に置いていかれるので、ご注意を。

判例や学説の羅列ではなく、生きた素材を扱いながら「憲法的な見方」を深めていくように書かれているのが良い。多チャンネル時代の「放送の自由」を論じた第8章などは、スカパーやWOWOWが広まりだした時代の雰囲気を映していて興味深い(ネットフリックスやAbemaTVのある現代は、また違った議論が必要になるのかもしれないが)。インターネット時代の通信規制を考えた第9章も、今でも十分通用する議論だと思われる。

そして、本文以上に面白い(失礼)のが、各章の終わりに挿入されている「プロムナード」と題したエッセイだ。こういう文章が書けるのは、よほどうがった(あるいは、ひねくれた)ものの見方と、それをウィットにくるんで展開する文章力の持ち主だけである。そのあたりの雰囲気がわかるフレーズを、いくつか引用してみよう。

 

「カラオケを歌うかりそめの同胞集団にコミットすることは、その同胞集団とこの世の不条理性という奥義を共に分かち合う能力をコミットする人に与える」

 

 

 

「多くの法令の役割は、どれでもよいがとにかくどれかに決まっていてくれなければ皆が困ることについてどれかに決めてくれることにある」

 

「「東京大学」など聞いたこともないという人からすれば、「東大教授」たる筆者の講義も妙な中年男が妙齢の男女を相手に妙な話をしているように見えるだけであろう」

 

【2156冊目】稲垣足穂『ヰタ・マキニカリス』

 

 

タルホの文芸は、タルホにしか書けない。一行目から、それがどこにもない世界であることが伝わってくる。本書に収められているどの短編も、どれをとってもタルホの刻印が押されている。それは文章という名の刻印なのだ。

「ガス燈と倉庫のあいだを抜けた私が、同時に、くるくるとレンガ塀のおもてを走った自分の影法師を見た時、シュッ! と小さなほうきぼしが頭の上をかすめて、プラタナスの梢にひッかかったのです」(「緑色の円筒」より)

 



こんぺいとうのお星様に、ブリキの屋根とキネオラマのお月様。科学の精神がそのままに幻想的な世界観に宿っている。それは雲母のように薄い街なのだ。薄板界という世界なのだ。

「ぼくが考察するに、この世界は無数の薄板の重なりによって構成されている。それらはきわめて薄く、だから、薄板面にたいして直角に進む者には見えないけど、横を向いたら見える。しかしその確度は非常に微妙な点に限定されているから、よこの方を見たというだけでは、薄板の存在をたしかめることはできない。そして現実はわれわれが知っているとおり、何の奇もないものであるが、薄板界はいわば夢の世界であって、いったんその中へ入りこむならどんなことでも行われ得る」(「タルホと虚空」より)

 



そして本書には、タルホの飛行機フェチぶりと機械感覚に満ちた作品もいくつか入っている。なんといってもタイトルの「マキニカリス」とは「マシーン、機械、からくりつまり宇宙博覧会の機会館」なのである。もちろんここでいう飛行機とはジャンボジェットなどではなく、昔ながらの複葉機。そのロマンティシズムは、どこかサンテグジュペリを思わせる。

なんともすばらしい、折に触れて読み返した一冊。