自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

本を読んでいる暇があったら『この世界の片隅に』を観に行きなさい

 

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

 

原作をレビューしそびれているうちに、映画になってしまった。そういえば『夕凪の街、桜の国』も読みっぱなしだ。

 

まあ、それはよい。とにかくこの映画は観るべきだ。今年一番の出来、というより、私の映画鑑賞歴の中でベスト・テンに入る(アニメならベスト・ファイブ、いやベスト・スリーだ)。

 

映画はこの「読書ノート」ではレビューしてこなかった。『シン・ゴジラ』も『君の名は』も、面白かったけど、あえて紹介しようとは思わなかった。だが、この映画は違う。これは後世に遺すべき映画だ。本なんか読んでる場合じゃない。上映しているうちに、ぜひ足を運んでほしい。

 

こういう映画を、たくさんの人が観に行っているなら、日本もまだまだ大丈夫。そう思えてくる映画でもある。内容についてはいろんなところでコメントされているので、ここでは触れない。しつこいようだが、とにかく、観なさい。観てください。観ろ。

 

 

【2124冊目】荒俣宏『フリーメイソン』

 

 
フリーメイソン」って、名前を聞くことはあっても、何なのかよくわからない。最近はダン・ブラウンの小説やその映画で出てくるようになったが、詳しいことまではなかなかわからない、というのが、私も含めた大方の人のレベルだろう。

だが、本書を読めばもう大丈夫。なんといってもこれは、現代の博物学者、荒俣宏による縦横無尽のフリーメーソン解読の一冊なのだ。

フリーメイソンには、2つの源流があるという。ひとつは中世以来の石工の組合。石工は古来、巨大な建造物を造る職人であり、幾何学の知識と、石材にサインをつけるためのシンボリックな紋章を使う習慣があった。もうひとつは、「思弁メイソン」と呼ばれる知識人の集団だ。特にフランシス・ベーコンやジョン・ディーによる「薔薇十字の思想」が大きかった。これは人類の叡智を絶対視する思想で、知的な人々の集団が世界をリードすることで、宗教や政治を超克した「友愛国家」が生まれる、というものだ。これは科学を中心とした一種の進歩思想であった。

こうした独特の知識人集団が石工組合に流れ込み、生まれたのが現在のフリーメイソンのルーツであるらしい。本書はさらに、フリーメイソンの変容に光を当て、陰謀論のもとになったフリーメイソンの1セクトイルミナティ」の出現、さらにはアメリカでの独自の受容の過程を追っていく。なんといってもアメリカは、1ドル紙幣にフリーメイソンの影響が噂されているほどの「フリーメイソン国家」なのである。

フリーメイソンをめぐるシンボリズムも興味深い。特に、古代エジプトの神話の影響が面白かった。女神イシスによるオシリスの復活劇を、かの怪人カリオストロ伯爵がフリーメイソンの儀式に取り込んだ。このエジプト神話はギリシア神話にもつながっているとされており、エジプト、ギリシアといった「西洋の知の系譜」が、こうした形であらためて位置づけられたのだ。1ドル紙幣の「噂の部分」も、ピラミッドとその上に輝く「目」であって、エジプト的なルーツをうかがわせる。

本書は、フリーメイソンについて語る一方で、フリーメイソンを軸に西洋の「もうひとつの知」の流れを辿るものとなっており、新書とは思えない「濃い」一冊だ。日本におけるフリーメイソン史も扱われている。それにしても、こういう本を読むと「知識」と「雑学」が地続きのものであることがよく見えてくる。知の幹も枝葉も自在に取り込む懐の深さがないと、こういうテーマはなかなか扱えないのではなかろうか。

【2123冊目】マイケル・エドワーズ『「市民社会」とは何か』

 

「市民社会」とは何か―21世紀のより善い世界を求めて

「市民社会」とは何か―21世紀のより善い世界を求めて

 

 



どんな本でもそうだが、読んでも「ピンとこない」場合、大きく3つの可能性が考えられる。第一に、読み手がちゃんと読めていない。第二に、書き手に問題がある。第三に、翻訳がヘタクソ。

第二の場合は、気づいた時点で本を放り投げることが多い。第三の場合は、もともと書かれている内容はしっかりしていることもあるので、我慢して最後まで読む。実は一番判断が難しいのは、第一の場合だ。自分の力量が本に追いついていない、ということはしょっちゅうあるのだが、だからといってさっさとあきらめてしまうと、読書の「自力」が身に付かない。いささか古臭い考え方なのかもしれないが、分からないものをそれでも必死に食らいついて読むことによって、得られるものはあると思うのだ。それは、その本から何かを得られる、ということではない。むしろ、他の本を読むときに、懸命になって崖にしがみつくようにして読んできた経験が活きるのだ。

さて、本書である。これもやはり「読めない」「入ってこない」本だったのだが、実は、その理由が最後までよくわからなかった。なんだか良いことが書いてありそうな予感はある。個々の文章も分かりにくいわけではないし、翻訳だってそれほどマズくはない。でも、なぜだろう。書かれている内容が、自分の頭の中でなかなか組み立てられないのだ。細部の筋は追えても、全体を貫くロジックが見えてこない。本全体の結節点となるようなポイントが見えない。それが書き手の「話のハコビ」のためなのか、私自身の問題なのかも、よくわからない。霧が晴れないまま最後までたどり着いてしまった読書。こういうことも、ある。

正直言って、読んだふうを装った「解説」はできる。目次、はじがき、あとがき、訳者解説を読めば、たいていの本は読んだフリして感想くらいは書けるものだ(著者情報、帯、カバー裏のダイジェストがあればさらによい)。例えばこの本なら「市民社会を〈団体活動としての市民社会〉〈善い社会としての市民社会〉〈公共圏としての市民社会〉の3タイプに分けてそれぞれの性質を論じ、今後の方向性を示した一冊」「著者は世界銀行を経てフォード財団に籍を置き、市民社会部門のスペシャリストとして、現場の実践をもとに市民社会の現状と未来を考察している」。これくらいのことは、読む前から「読めている」のである。

だが、そんなことをして何になろうか。これがちゃんとした書評なら、そもそも本書については「書かない」のが誠実な態度だし、いい加減にやろうとすれば「読んだフリ」で書けばよい。だが、この「読書ノート」は、読めなかった時のことも含めて、その時の印象を残しておきたい。あ、一つだけ言っておくと、「公共圏としての市民社会」という考え方には、何か新しいもの、市民社会というものの閉塞感を打ち破る可能性を感じた。以上。

【2122冊目】山尾悠子『夢の遠近法』

 

夢の遠近法 山尾悠子初期作品選

夢の遠近法 山尾悠子初期作品選

 

 

 

増補 夢の遠近法: 初期作品選 (ちくま文庫)

増補 夢の遠近法: 初期作品選 (ちくま文庫)

 

 

私は単行本のほうで読んだが、今から読むなら、文庫で出ている「増補版」のほうがよさそうだ。単行本の収録作品に加えて「パラス・アテネ」「遠近法・補遺」の2作が入っている。

あ、でも「栞」としてくっついていたエッセー集は、単行本のほうにしかないのかな(未確認)。だったらやっぱり、こっちのほうがよい。イナガキタルホ風味のショートコントが入った「頌春館の話」だけで読む価値アリ。なんといっても山尾悠子の世界観は、ポオや澁澤龍彦もさることながら、やはり稲垣足穂の末裔なのだから。あ、それと「ラヴクラフトとその偽作集団」も気になるところ。正直言うと、私がこの本を読もうと思った直接のきっかけは、エッセー集のタイトルに「ラヴクラフト」の文字を見つけたからなのだ。

本書は幻想文学作家・山尾悠子の初期作品集。「伝説の作家」と言われるほどの寡作であるから、初期といってもかなりの作品が収められている。で、最初に出てくるのが実質的な処女作という「夢の棲む街」なのだが、のっけからその完成度の高さに仰天する。わずか20歳で、この完璧な世界観、この絢爛にして無駄のない職人芸的な描写。圧巻である。

「街の噂の運び屋の一人、〈夢喰い虫〉のバクは、その日も徒労のまま劇場の奈落から這い出し、その途中ひどい立ち眩みを起こした」

 


これが一行目。これだけで何か独自の世界が立ち上がってくる。漏斗型の街。その底にある、廃墟となった劇場。鳥籠の中の侏儒。そして謎めいた〈あのかた〉の存在……。

幻想と言っても、何でもあり、ではない。幻想世界には幻想世界なりの線引きがあり、そこを踏み越えるとすべてが台無しになる。澁澤龍彦はそれを「幾何学的精神」と言ったが、本書はまさに幾何学的精神によって規律された幻想世界なのだ。傑作。

【2121冊目】小川三夫・塩野米松『不揃いの木を組む』

 

不揃いの木を組む (文春文庫)

不揃いの木を組む (文春文庫)

 

 
伝説の宮大工・西岡常一の「唯一の内弟子」による、仕事論・指導論・教育論。

読むのにずいぶん時間がかかった。このぐらいのページ数なら、たいてい1日もあれば読み切れるのだが、この本はほとんど全部のページに目からウロコのフレーズがあって、いちいち噛んで味わっていたためだ。はっきり言って、そこらのビジネス書100冊が束になってかかっても、この一冊にはかなわない。

例えば、法隆寺五重塔薬師寺の東塔は、使われている木の癖がバラバラだという。だから、同じ規格の木を揃えて組むような具合にはいかない。それぞれの木の癖を読み切って、適材適所に組み上げることで、全体として正確なものが仕上がる。そこには計算も何も通用しない。それが1300年間にわたって建っているのである。

人も同じである。それぞれに細かいところを見てアラを探すようではいけない。性格も能力もバラバラな連中を組み合わせて、ひとつのチームとして仕事をしなければならないのだ。4番打者ばかり揃えている某球団や、東大卒のエリートばかり揃えている某官庁に聞かせたい。

「褒める指導が大事」と世間ではよく言われるが、著者は出来上がった仕事を褒めることはないという。「その本人が真剣に仕事をして、やって出来上がったことを褒めてやるなんて失礼」だから、だそうだ。一方、怒る時にはしっかりと怒る。それを怒らないのは、その相手を見捨てているようなものだ。

他にもとにかく、箴言というか、奥義というか、人を育てる上での大事な言葉がびっしり詰まっている。小川棟梁のような人が上司だったら、さぞかしその部下は伸びるだろうと思う。大工や職人だけの世界の話、と思ってはいけない。これはどんな仕事にも通じる「骨法」なのである。その片鱗は、目次をさっと眺めただけでも見えてくる。例えば、こんな感じなのだ。

「三十歳前にどっぷりと仕事に浸れ」

「職人にカリキュラムはない」

「言葉でストレートに教えないわけ」

「他人のことより自分を見つめろ」

「バカ丁寧は丁寧ではない」

「器用は損や」

「生半可な知識は必要ない」

「打った釘は抜くな」

「未熟なときに大きな仕事をまかせる」

「不揃いが総持ちで支え合う」