自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2104冊目】フィリップ・K・ディック『ユービック』

 

ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

 

 
こないだ読んだ『バーナード嬢曰く』で気になった小説。ディックのSFは、何だったか忘れたがだいぶ前に読んだのだが、全然ついていけず、ちょっと苦手意識があった。そのため、本書も読む前は心配だったのだが、読み始めると止まらなくなった。どうやら「ディック・アレルギー」は杞憂だったようだ。

最初の方を読んで、超能力者と反能力者のバトルかと思いきや、物語は思いもかけない方向にどんどん進む。タイムトラベルものかとも思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。しかも「ユービック」という、得体の知れない商品の「コマーシャル」が章の最初に挿入されているのに、正体がなかなか見えてこない。小説のタイトルにもなっているくらいだから関係ないワケはないのだが……と思ったら、なんと裏表紙の解説にしっかり「正体」がバラされているではないか。そういえば『バーナード嬢曰く』でも「裏表紙は見るな」と警告されていた、と思い出したが、もう遅い(ちなみに今回読んだのは旧版の表紙で、上のamazon画像とは違う。裏表紙は今はどうなっているのだろうか)。

まあそれほどに仕掛けが周到でサプライズが効いているので、ネタバレしないように本書について書くのはとっても難しい。突飛な設定も、その設定を活かした筋書きも、ここで紹介したいのだがやめておく。ちなみに、私は本書を読んで「とある小説」と「とある映画」を思い出した。う~ん、全然わからんね、これじゃ。

少しだけ「ネタバレ」というか、気づいたことを書くと、「ユービック」は「ユビキタス」に通じるネーミングなのだ。ただ、その「偏在性」のあり方はだいぶ違う。ユビキタスは空間的なものだが、ユービックはそうではないのである。このくらい書けば、ピンと来た人もいるのでは?

【2103冊目】島泰三『ヒト 異端のサルの1億年』

 

ヒト―異端のサルの1億年 (中公新書)
 

 
「ヒト」とは何か。それを考えるには、「ヒトでない存在」と比べるとよい。ヒトとなるべく近いほうがよいから、類人猿がよい。特に大型類人猿だ。なんといっても、大型類人猿という分類にはオランウータン、チンパンジー、ボノボ、そしてヒトが、そもそも含まれているのだ。

著者のことは全然知らないのだが、なかなか個性的な研究者であることは文章の端々からもうかがえる。マダガスカルやボルネオの密林でサルたちに出会うことも多く、現場一筋でやってこられた方のようだ。中でもアフリカのヴィルンダ火山群近くでマウンテンゴリラと出会った時の描写は印象的だ。

「私はマウンテンゴリラに会ってしまった。その驚くほどの感覚が、何年たっても巨大な梵鐘の余韻のように轟いてやまない。会ってしまったのだ。その偉大な類人猿の印象が、心を埋めてしまった。あのマウンテンゴリラの大きな深い目が、地球を半周する距離を隔てて、今なお私に語りかけている。
「人はなすべき何事かをなすべきときに来ているのだよ」と」

 

おおお。これは神託なのではないか。

ちなみにゴリラは「笑う」し、コトバも使えるという。ゴリラに手話を教えたパターソンが「あなたは動物、それとも人間?」と聞いたところ「ステキナ ドウブツ ゴリラ」と返事をしたそうだ。

もっとも、本書で興味深いのはこうしたエピソードだけではない。なんといっても、著者が提示する大胆極まりない仮設が面白いのだ。例えば、これは著者の別の本で詳しく触れられているというが、人類の祖先である「類人猿第四世代」の連中が自然淘汰の中で生き延びることができたのは、新たなニッチを開発したからであった。そして、それは、草食から「骨食」への移行だったというのである。著者に言わせれば、退化した犬歯も、平べったい臼歯も、道具の発明さえ、骨を砕いて食べるためのものだった(それだけではないが)。そして、手に物を持つことで、彼らは「直立二足歩行」をすることになったのだ。

他に驚いたのは、言葉の発明は「ヒトとイヌ」の異種間コミュニケーションによって育まれたものである、という指摘だ。「同種の場合のコミュニケーションには二重の確かめはいらない。同じしぐさは、同じ心を示している。だが、別種の場合には、いつも二重の確かめが必要になる」。ホンマかいな、とも思えるが、仮説としては面白い。

こんな感じで、意外性のあるエピソードと仮説を織り交ぜながら、「ヒトの起源」の最新情報を盛り込んだ一冊。上に書いたようにすべてを真に受けるのは少々難しいが、ヒトの誕生までの歴史的な流れをわかりやすく説明しているという点では、なかなかに重宝する本である。


【2102冊目】『現代思想 緊急特集 相模原障害者殺傷事件』

 

 
鮮烈にして濃密な一冊。雑誌ではあるが、その内容はそこらの書籍100冊を超える。

刺さる言葉が満ちている。そこで、一人の著者から一言ずつを引き抜いて、並べ替えることで本書の内容を示してみよう。なお、個人的に印象に残った箇所を引用しているので、必ずしも当該執筆者の主張そのものを引き抜いているとは限らない。当然、孫引きもある。念のため。

「すべての現象には特異性と普遍性がある。事件も例外ではない。ところが事件が注目されればされるほどメディア(社会)は特異性ばかりに注目し、その帰結として犯人は理解不能なモンスターに造形される。ならば事件から教訓を学んだり再発防止策を講じたりすることなど不可能だ」(森達也

 



「植松でありえた自分を自分の中に無理にでも見い出すだけの想像力が必要だ」(岡原正幸)

 



「今回の事件の容疑者の”病状”がたとえどのようなものであれ(”病気”ではなかったとしても)、精神医療福祉の支援、より広くは犯罪人の更生支援も含む対人支援の基本は、人間関係における信頼である」(高木俊介)

 



「思想は医療では治らないし、治すべきでもない。そんな当たり前のことを忘却して、便利な治安装置を精神科医療に担わせようとしてきたのが今の政府のあり方である」(桐原尚之)

 



精神障害者は再犯の怖れが完璧になくなるまで隔離せよという主張は、「障害者に生きる価値はない」とする植松容疑者の主張とほとんど重なり合う」(斎藤環

 

 

「怒りとは相手が存在することを認め、自分と相手が繋がっていることを前提とした感情だ。だから怒りには葛藤がある。(略)しかし、憎悪とは相手が存在すること自体を拒絶する感情だ。憎悪に葛藤はない」(荒井裕樹)

 



「相模原事件の加害者は、自分が弱者になることに想像力を持たなかったのだろうか? 自分がケアする側から、ケアされる側に廻る可能性を。犯人は「呼び掛けて反応がない相手を殺した」と言うが、自分自身が呼び掛けられても反応できなくなったとしても、安心して生かしてもらえることを期待しなかったのだろうか?」(上野千鶴子

 

 

「今まさに、共生社会の胆力が試されている。ここで安易に誰かを他者化して、そこに問題を押し付けて、一見解決したかのような装いで、また何事もなかったかのように社会が、回復した風情で回り始めることだけは、避けなければならない」(熊谷晋一郎)

 



「今回の事件は容疑者個人だけの問題ではなく、社会全体が持っている誤った考えや感情が引き起こしていると考えられます」(船橋裕晶)

 

 

「そうである。私たちは次のように言えなくてはならないのだ。他人に迷惑をかけてもよいのだ、と。いや、もっと先に行く必要があるかもしれない。ときには、他人に迷惑をかけるべきだ、と。私たちは、場合によっては、他人に迷惑をかけることを望まれてさえいるのだ、と」(大澤真幸

 



「歴史が語られないまま忘れられることの恐ろしさ。語られる歴史の、語り方がもたらす恐ろしさ。語る側の責任。そしてまた、聞く側の姿勢、語られたことの何を聞き、どう受け止め、そこから何を学ぶのか、あるいは学ばないのか」(大谷いづみ)

 



「日本では「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に掲げた優生保護法が1996年まで続いた。障害者や関係者の粘り強い運動でようやく廃止されたが、優生保護法下で行われた不妊手術は16,500件に及ぶ」(尾上浩二 数字はアラビア数字に改めた)

 



「そもそも、彼の言う「障害者はいなくなれば良い」という思想は、今の社会で、想像もできない荒唐無稽なものになり得ているでしょうか。現実には、胎児に障害があるとわかったら中絶を選ぶ率が90パーセントを超える社会です。障害があることが理由で、学校や会社やお店や公共交通機関など、至るところで存在することを拒まれる社会です。重度の障害をもてば、尊厳を持って生きることは許されず、尊厳を持って死ぬことだけを許可する法律が作られようとしている社会です」(中尾悦子)

 



「以前ならば、ダウン症児の出生は偶然性の問題であった。ところが今日は、ダウン症やその他の遺伝的障害を持つ子どもの親の多くが、周囲からの非難や自責の念を感じている。以前ならば運命によって決まるとされていた領域が、今では選択の舞台になっているのである」(マイケル・サンデル/明戸隆浩の文章より孫引き)

 



「最初の指標は「救命可能かどうか」だったはずなのに、いつのまにか「QOL」へと指標がシフトしている。それにともなって医療現場にも一般社会にも、「重い障害のためにQOLの低い生は生きるに値しない」「したがって医療資源を使うにも値しない」という価値観が広がっているのではないだろうか」(児玉真美)

 



「弱く意気地のない生き損ないで結構じやないですか!/がしかし残念なことに、これでは現実の社会で通用いたしません。そこで私達は、安楽死や自殺や精神異常によつて、社会とその政治に挑戦し、盛大に現代文明の血祭りを開催しなければ不可ないと思います」(大仏空(おさらぎあきら)/立岩真也の文章より孫引き)

 



「能力による命の線引きが行われる社会では、人々は自分についても他人についても、能力にばかり目を向けることになる。そこでは、人の価値は身体的能力や精神的能力によってのみ規定される。しかし、そもそも人間のかけがえのなさは、その人の能力とは別のところにあるはずだ。こうした問題意識から、障害者解放運動は「どこに線を引くかを決めること」よりも「線を引くことそのものを見直すこと」を求めているのではないか」(廣野俊輔)

 



「能力図がある。得点を結ぶとギザギザの多角形になる。だが調査項目を増やし、しかもそれが測れない項目となれば、いびつな多角形は円に近付き、無際限に拡がってしまうだろう」(最首悟

 

 

障碍者は競争できないし、現代社会で働くこともままならないし、兵隊になって戦争もできないし、そのような視点から観ると、いたって平和でのんびりとした人間なのである。世界中の人間が、平和で時間に縛られないのんびりとした障碍者の存在を認識し、共に生きることを選択すれば、社会(世界)は変化していくと私は信じる」(白石清春

 



「「客体化の否定」という観点から見るとき、優生思想を否定する理由は、そもそも「人の価値」を論じること自体が誤りだからだ。善意の人が「障害者もみんなを笑顔にしてくれる」とか「障害者も経済活動に貢献できる」などと議論をするのを見ることがあるが、それは、知らず知らずのうちに優生思想のペースに乗せられてしまっているということになろう」(木村草太)

 



「「優秀な人間や健常者は生きる意味があるが、障害者は無意味だ(役立つ障害者だけが生きる意味がある)」という優生的な価値観は根本的に間違っている、と言うだけではない。むしろ「障害者だろうが健全者だろうが、優れた人間だろうが何だろうが、人間の生には平等に意味がない」と言わねばならない」(杉田俊介

 



「翻って、相模原での事件に関する報道について振り返ると、被害者を「我々」の側に位置付けようとする姿勢は、初めから決定的に欠けていたように思えてならない」(星加良司)

 



「この事件をめぐる状況において、私が当惑するのは、殺された人が語らない人であることにされている点だ。当然、殺された人は語ることができない。彼ら、彼女らは、殺される以前から語ることができない人にされていた」(猪瀬浩平)

 



「本当に彼らは施設入所しかありえないほど、重度の障碍者だったのだろうか。地域での支援体制さえ整っていれば、施設に入らなくてもよかった方々なのではないか」(渡邉琢)

 



「今回の事件は、ケアの社会化(脱家族化)の一つの帰結と言えるかもしれない。だが、ケアの社会化をその施設化とイコールで結ぶ必要はまったくない。いや、日本の障害者運動、特に自立生活運動は、両者をイコールで結ばせない道を切り開いてきたのである」(市野川容孝

 



「基本的にケアは静かなものだ。そのことを理解しない者が介護者の姿を見て「生気の欠けた瞳」と解釈するのかもしれないが、それは誤りだ。介護者の瞳は、生気が欠けているわけでもなく、といって生気が満ち満ちているわけでもない。人間の生の呼吸を聴きながら、生活を淡々と丁寧に支えていくための知恵を身体化しているにすぎない」(深田耕一郎)

 



「容疑者はむしろ障害者は無力で生きる価値がないと主張する。しかしながら、職員自身も無力であってそれに気づかせてくれるのも彼らなのだ」(西角純志)

 

【2101冊目】『病短編小説集』

 

病(やまい)短編小説集 (平凡社ライブラリー)

病(やまい)短編小説集 (平凡社ライブラリー)

 

 
「不治の病」といえば映画やドラマの定番だ。日本の小説でも、堀辰雄の『風立ちぬ』から最近の話題作『君の膵臓をたべたい』までいろいろある。本書は英米の作品に絞って「病気モノ」を集めたアンソロジー。結核ハンセン病、梅毒、神経衰弱、不眠、鬱、癌、心臓病、皮膚病と、多彩な「病」を扱った小説が並んでいる。

ほとんど知られていないような作品も多く、目配りの行き届いたセレクション。今度は日本の「病小説集」も出してはくれまいか。その時には、北条民雄夢野久作筒井康隆も入れてほしい。

好みの差もあるだろうが、個人的に面白く感じたのは次の作品だった。

モームサナトリウム」:結核患者のサナトリウムが舞台の人間ドラマ。テンプルトンとアイヴィ・ビショップの恋愛もいいが、マクラウドとキャンベルのライバル関係がとにかく印象的だった。「強敵」と書いて「友」と読ませるのは、某マンガだけの話ではない。

ヘミングウェイ「ある新聞読者の手紙」も短いながら印象的だが、実はこの作品、実際の手紙をそのまま掲載し、短い文章を添えただけの作品として物議をかもしたという。だがそれをいうなら、そもそも作品の「オリジナリティ」ってなんなんだろうか。デュシャンの「泉」だと思えばよいではないか。

レッシング「十九号室へ」は、鬱という言葉をいっさい使わずに、鬱症状に陥っていくひとりの女性を描いた傑作だ。微妙な心理の動きが実にうまく掬い取られていて、最後まで間然としたところがない。この人の作品、実ははじめて読んだのだが、とても面白かった。

ショパン「一時間の物語」は四ページちょっとの長さしかない、短編というよりショート・ショートに近い作品で、長さだけでなく作品の雰囲気も、どこか星新一を思わせる。端的な描写のうまさ、伏線の張り方の巧みさ、そしてラストの衝撃度と、まさに「捨てるところがない」一篇。この作品に出会っただけでも、本書を読んだ甲斐があった。


【2100冊目】高木久史『通貨の日本史』

 

 
その1

有名な和同開珎より半世紀前につくられた「無文銀銭」が日本最初の銀貨だった。さらに飛鳥宮で日本最初の銅貨である「富本銭」が、そして8世紀には和同開珎がつくられた。だが中央政府による貨幣発行は10世紀あたりで途切れ、再開されたのはなんと江戸時代の寛永通宝(17世紀)。それまでの間、主に使われていたのは中国の通貨であった。

その2

中世日本には、省陌(せいはく)という慣習があった。これは、たとえば1文銭97枚を、穴に紐を通してつないでいる場合、これを100文として扱う、というもので、なんと幕末まで続いたという。だから早起きしてバラ銭を紐でつなげば三文の得がある、早起きは三文の得、となったとかならないとか。

その3

中世の日本はシルバーラッシュだった。石見銀山はヨーロッパの宣教師にも注目され、そのためザビエルは山口あたりで布教を重点的に行ったという。銀は当時の貿易通貨で、特に中国が銀をほしがった。中国への銀輸出を担ったのがポルトガル商人だったのだ。石見の銀は、いわばグローバル・マネーとなって当時の世界経済を動かした。

その4

江戸時代前期は、寛永通宝の発行のみならず、幕府が金貨・銀貨・銭(三貨)をすべて発行し、外国銭や国産模造銭を禁じた点で日本の貨幣政策を画期した。だが一方では、民間や藩が紙幣を発行し、流通させた時代でもあった。民間の発行した紙幣を私札、藩が発行したものを藩札という。なお世界史的には、紙幣は戦時に戦費調達のため政府によって発行されるケースが多いが、日本の場合は平時に、しかも民間と地方から発行が行われたという点で特異である。

その5

幕府は何度か紙幣発行を制限したが効果はなく、むしろ江戸時代後半に向けて私札・藩札は全盛期となった。その背景にあったのは、経済成長によって少額通貨が不足したこと。もっとも、その背景には、社会の安定と信頼がかなり高度なレベルに達していたということがある。そうでなければ「ただの紙切れ」にすぎない紙幣がこれほど流通することは考えられない。

その6

長きにわたり日本は多様で多元的な通貨制度の国であった。そもそも東日本は金、西日本は銀が取引の基本であった。そこに私札や藩札が入り乱れ、その状態が幕末以降まで続いた。ちなみに中央政府が「札」を発行したのは幕末の幕府紙幣が最初だったが、これはすぐに幕府が倒壊してしまったため流通しなかった。

その7

廃藩置県が行われた一因に藩札の流通があった、と述懐しているのが井上馨である。藩札で納税されても通用地域が藩内に限られているので使いにくい、ということであったらしいが、これは単に通貨だけの問題ではなく、こうした「藩単位」の経済圏やメンタリティを、明治政府が扱いかねたということなのだろう。

その8

「円(圓)」という単位名は中国の模倣との説が有力という。中国にメキシコドルが流入したとき、円形だったので中国人がこれを「銀圓」と呼んだのだそうだ。ちなみに現在の中国の通貨単位は「元」だが、紙幣には「圓」の文字がある(略字だが)。「圓」は画数が多いので、同じ発音の「元」(yuan)が慣用されるようになったそうだ。さらにちなみに、韓国の「ウォン」も由来は同じらしい。通貨名だけみても、これだけ日・中・韓がつながっているというのは面白い。

その9

日中開戦翌年の1938年、臨時通貨法が定められ、従来の貨幣法に基づく貨幣の発行は行われなくなった。戦時中の1942年には、日本銀行法が施行されて管理通貨制度に移行、翌年には初めて「日本銀行券」が発行された。この「戦時通貨体制」はなんと20世紀終わりころまで続いた。臨時貨幣法の廃止は1987年、日本銀行法の改正はなんと1997年。改正日銀法では、発行高を制限する規定が廃止された。

その10

1960年代、1円硬貨不足が起こり、ある商店主はボール紙で「1円硬貨」をつくっておつりを支払った。だが戦前も少額硬貨が不足して、郵便切手やタバコで支払意をするケースはあった。さらに時代をさかのぼれば、米や特産物で「納税」をしていた時代だって、つい最近まであったのだ。通貨とは、案外それほど絶対的なものではないのである。