自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2063冊目】森政稔『迷走する民主主義』

 

迷走する民主主義 (ちくま新書)

迷走する民主主義 (ちくま新書)

 

 
前著『変貌する民主主義』は良い本だった。民主主義という「捉えどころのないもの」へ多角的に光を当てて、その「本質」と「問題点」がわかりやすく語られていた。

本書はいわばその「応用編」「実践編」。前著刊行の翌年に起きた民主党への政権交代を中心に、だいたい小泉政権あたりから最近の安倍政権までの、日本の民主主義の迷走ぶりを分析している。

特に民主党政権の「失敗」の分析は、本書の白眉といってよい(白眉のわりにはかなり長いが)。民主党政権については、当たり前のようにダメ政権呼ばわりされるわりに、「なぜダメだったのか」を論理立てて説明したものは意外に少ない(たまにあってもあまり説得力を感じない)。だが本書の分析は、明確かつ本質的なところからきっちりと行われており、単なる誹謗中傷とは違った説得力豊かなものになっている。

その内容は多岐にわたるが、一言でいえば民主党は、世の中を成り立たせている仕組みの複雑な「絡み合い」に鈍感すぎたのかもしれない。だから物事の一面だけをみて資金を投入し、かえって多方面にマイナスの効果をばらまくことになる。高速道路無料化が公共交通機関の弱体化につながり、雇用促進政策はかえって企業の雇用抑制を招く。「生活が第一」と言いながら、民主党は生活の何たるかがわかっていなかったということなのだ。

さらに、著者は民主主義、あるいは「政治的なもの」という視点から(ここでは民主党政治に限らず)日本の政治の問題点をあきらかにしていく。視点は6つあるので、個々に見ていきたい。

1つ目は「決定(決断)」である。日本の政治が「決断できない政治」と言われて久しいが、むやみやたらな決断は、かえって政治の恣意性を印象付け、かえって信頼を失う。「決断の正当性は、決断主体の法的根拠だけではなく、政治的思慮もまた求められるというべきである。そして政治的思慮は、統治の合理性についての知を背景とするものである」

2つ目は「熟議」。熟議民主主義はポピュリズムへの警戒から注目されているが、民主党は熟議を強調したわりに、実際には異論をおしつぶす政治的権力の行使が目立った。マニフェストの存在も、政策決定を過度に縛り、議論自体を封殺してしまった。

3つ目は「調整」だ。調整がなぜ重要かといえば、有権者は決して一枚岩ではないからである。さまざまな立場、さまざまな利害があるからこそ、それを調整する政治的プロセスが必要となる。マニフェストに基づきダム建設を中止するがごとき決断は、歴史的経緯に基づく地元の複雑な利害を無視するものであった。

4つ目は「統治及び統治性」。政治とは統治である。だが統治するには、その対象となる社会を知らなければならない。民主党は社会がどのように構成されているかについてあまりにも無知であった。ゆえに、権力は握ったもののどうやって統治してよいのかがわからなかった。

5つ目は「公と私」である。ここで重要なのは、現代の社会では公と私が明確にわけられないということだ。公的領域にいわゆる「私企業」が入り込む例は、福祉や教育の分野をはじめたくさんある。私企業である以上、そこには市場原理が働くわけだが、公共サービスを担う以上、単純な市場原理だけでは割り切れないのも確かである。介護サービス事業から赤字路線のバスまで、「私」による公共インフラをどうするか。

6つ目は「参加と抵抗」。これは与党と野党という考え方をかぶせるとわかりやすい。参加とはいわば与党になること、政治に参加すること。民主主義とは、選挙を通じてこの「与党」と有権者を重ね合わせるプロセスであるともいえるだろう。これを「治者と被治者の自同性」という。一方、抵抗とは野党として政府の政策に反対することもあれば、デモのような行為もある。著者はこう書いている。「民主主義には参加によって治者と被治者の同一性を実現しようとする面と、それに異議を申し立て抵抗する面の両面がつねに含まれている」

なんともややこしい。だが、こうしたややこしさに付き合っていくことが「民主主義と付き合う」ということなのだろう。わかりやすく勢いの良い「独裁」の声に惑わされず、この複雑でとらえにくいシステムをしっかりと見据え、逃げずに相対していくことが、まがりなりにも民主主義を選択した国民の責任なのかもしれない。

【2062冊目】木々高太郎『光とその影/決闘』

 

 

ひょんなきっかけで読むことになった本だが、もともとは作家の名前さえ知らなかった。

木々高太郎。戦前の「探偵小説」作家の一人で、あの江戸川乱歩と論争して「探偵小説は芸術である」とぶちあげた。精緻なトリックと論理的な謎解きを志向したという点では、ひところの新本格ブームを思わせる。

とはいえ、「新本格」が人物造形をほぼ度外視したパズル的な作品にすぎなかったのに対して、本書は意外にも登場人物の「キャラ」が立っていて、人間ドラマとしてもなかなか読み応えがある。特に「恋慕」など、風変わりな恋愛小説として今でも通用する内容であり、後半の「探偵小説」部分への接続も鮮やかだ。

本書は前半が中編「光とその影」、後半が短編集という構成になっている。「光とその影」は戦後の作品らしいが、ステイシェンという神父が探偵役で、これがなかなかいい味を出している。いろんな意味で正統派の推理小説だが、否定を積み重ねることで真相に至るというロジックの進め方が独特だ。その例として出されている「ディラックの問題」がちょっと面白いので、少しだけ翻案し、ここにメモっておく。

「3人の人物A、B、Cがいる。5枚のトランプのうち3枚をA、B、Cの背中に貼り付け、残り2枚は隠しておく。トランプの内訳は、黒が3枚、赤が2枚。A、B、Cのいずれも、自分の背中についているトランプは見えないが、他の2人の背中についているトランプは見える。
 まず、探偵役がAに対して「自分の背中についているトランプの色がわかるか」と聞くと「わからない」と答えた。次にBにも同じ質問をするが、やはり「わからない」との回答。最後にCにも尋ねたところ「AとBがよく考えて、完全な推理の上でわからないと言っているのであれば、私には自分の背中についているトランプの色がわかる。それはXだ」と答えた。
 では、Cが答えたトランプの色Xは何か」

 



面白いことにここで本書は「読者はここで本を伏せて、この問題を解いてください」と「読者への挑戦状」めいた一文を入れているのだが、これ、かなり難しくて、ずいぶん考え込んでしまった。こういう「挑戦」もちょっとめずらしい。

【2061冊目】立川談志『人生、成り行き 談志一代記』

 

人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)

人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)

 

 
七代目立川談志。破格の落語家であり、不世出の芸人であった。

本書は、その生きざまを吉川潮に語った一冊。貸本屋に通った小学生の頃。「最初から自分がうまいことに気付いた」という前座時代。政治家への挑戦。落語協会との訣別……。けっこうきわどい裏話も交えながらの「自分語り」は、さすがにおもしろさの勘所が押さえられていて、それ自体がひとつの芸談になっている。

個人的に面白かったのは政治家時代の話。談志ともあろう人がタレント議員なんて……と思っていたが、読んでみてこれは逆だと気付いた。タレント議員がブームなら「それに乗っからないなら落語家の資格がない」のである。「何か騒ぎがおきそうだぞ。それ行けェーていうんで行っちゃうようなオッチョコチョイだから、喋っても面白いんでネ」なのだ。しかも立候補が銀座のある東京八区。なぜかといえば「酒が美味くて、女がキレイで、土地が高いところから出ようじゃねえか」。マジメに政治家をやっている人から見れば、ふざけているとしか思えない、と言われるかもしれないが、談志ともなると、「ふざけ」にも一本芯が通っている。

落語について語ったくだりは、さすがに深くて鋭い名言が多い。「落語はネ、さっきも使った言葉だけど、”みんな嘘だ”ってことを知ってやがんのよ。ルノアールが何億円しようが、それが何だ、ってわかってる。だからこそ「猫の皿」ができるんですよ」「人間はどこにも帰属できない、ワケのわからない部分があって、そこを描くのが本当の芸術じゃないですか」「〈イリュージョン〉という領域、つまり人間の会話や行為や心理の不完全さをどう表現するか。これを表現するには、技芸もさることながら、演じる人間の広さが問われるんです。これを表現するには、完全さの美学では足りないんです。〈不完全さを出す〉という技芸が必要になるんです。そこまでできる人間の広さや視点や〈ぶれ〉が持てるか、ですよ」。この「不完全さを出す」というのが、スゴイ。

談志という人は、なんだかおっかないイメージがあって、それはまあ実際にもそうだったのだろうが、本書を読んで思ったのは、これほど優しくて気遣いのできる人は、そうはいないんじゃないかということだった。なんというか、気遣いをしないという気遣い、みたいなことができる人なのだ。人の心の弱さも醜さも知り尽くし、それを高座で笑い飛ばす。それができるのは、自分自身の弱さや醜さを知り尽くしているからなのだと思う(このあたりはビートたけしあたりと通じるものを感じる)。立川談志は、ホンモノの落語家であると同時に、人間としてもホンモノだったのだ。

【2060冊目】井戸まさえ『無戸籍の日本人』

 

無戸籍の日本人

無戸籍の日本人

 

 
本書を読み終わって「民法772条」でググってみると、法務省のホームページが上の方にでてきた。開けてみると「無戸籍でお困りの方はお近くの法務局へ」と大きく書かれ、詳細きわまるQ&Aが続いている。なるほど、著者らが始めた無戸籍者の支援は、ここまでになったのか。

www.moj.go.jp

それほどに、以前は無戸籍の問題は知られていなかった。私自身、自治体に勤めていながら、日本人なら戸籍があるのは「当たり前」だと思い込んでいた。お恥ずかしい限りである。

知るチャンスはあった。1998年、無戸籍の子ども4人をめぐる「巣鴨子ども置き去り事件」が起き、2004年には是枝裕和監督によって映画化された。自らの子どもを現夫の子として認めさせるための認知裁判を起こした著者が、勝訴後にホームページを立ち上げたのも同じころ。そこで著者自身、さまざまな事情で「無戸籍」になるケースがあることを知ったという。大きく新聞に取り上げられたのが2006年から2008年。毎日新聞のキャンペーンだった。私もこのキャンペーン記事を読んで、初めて無戸籍問題の深刻さを知った。

そして2014年のNHK「クローズアップ現代」を経て、それまでの「決定版」ともいえる一冊が登場した。それが本書である。13年にわたり無戸籍者の支援を続けてきた著者ならではの経験がぎっしり詰まったこの本は、同時に政治や行政との闘いの記録でもある。いちいち例は挙げないが、本書に登場する「役所の人」が投げつける言葉の冷たさは、腹立たしくもあり、また同業者として恥ずかしい限り。無戸籍のことを知らないのであったとしても、どうして困り果てて窓口に来ている人に共感し、共に考えるという姿勢を持てないのか。

実際、無戸籍であることによる不利益は想像を絶する。住民票がつくれない。学校に通えない。保険証がないから、病院にかかっても自己負担。免許を取るのにも就職するにも、戸籍がないと門前払いである。戸籍がないということは、日本人としてのメンバーシップから丸ごと排除されているということなのである(ちなみに、面白いことに、生活保護受給や障害者手帳の取得は無戸籍でもできるらしい)。

しかもこの問題が過酷なのは、無戸籍となっている人自身には、100パーセント、責任はないということなのだ。場合によっては親が届け出をサボっているケースもあるが、それだって本人がサボっていたワケじゃない。しかも、本書で繰り返し取り上げられているような凄惨なDVの被害者が着の身着のままで逃げ出したような場合、母親にだって責任があるとは言えない。あえて責任の所在を探すなら、これは明らかに、このような当然想定しうる制度的欠陥を放置し続けた日本という国家そのものである、ということになるだろう。

だが、そのような「放置」は無戸籍問題だけではない。著者は本書のラスト近くで、こう書いている。

「日本の社会がずっと見て見ぬふりをしてきたもの――「性」「国籍」「出自」「貧困」「搾取」「犯罪」「女性」――。
 それらがいくつも重なり合ったところに無戸籍問題は存在するのだ」

 



ところで、哲学者ロールズに「無知のヴェール」という思考実験がある。「無戸籍は親の問題」「伝統的な家族を守るほうが大事」と主張される方は、一度目をつぶって、想像してみるべきだ……「自分が無戸籍者に生まれついていたら、同じことが言えるだろうか?」と。本書に登場する「保守派」の政治家のみなさん(ちなみに、全員が自民党である)は、当然それでも民法772条の改正には反対されるのでしょうけど、ね。

 

そういえば、日曜日は参院選。またもや「日本人の民度」が試される日がやってくる。イギリスは住民投票で世界に大恥をさらしたが、さて、日本はどうだろうか。

【2059冊目】窪美澄『よるのふくらみ』

 

よるのふくらみ

よるのふくらみ

 

 
婚約中の圭祐と一緒に住んでいるが、セックスレス状態なのに悩むみひろ。以前から気になっていたみひろを兄の圭祐に「とられて」しまった祐太は、仕事で出会ったバツイチ子持ちの里沙に惹かれていく……

微妙な気持ちの行き違い、そしてカラダの行き違いの複雑な重なり合いが、切々と、しかし淡々と描かれる。やわらかい文章だが、時々はっとするような表現があって、それがなんともいえないアクセントになっている。セクシュアルな表現に、その人の切実さが裏打ちされているのも好感度大。

個人的には圭祐になかなか共感できなかったのだが、最後の方で風俗嬢のミミ(京子)に出会って自分を出せるようになったあたりで、なんだかホッとした。弟やみひろの前では自分を出せず、この人なりにいろいろ苦しんでいたんだなあ、と。現実にはなかなか、男女がこうやって「収まるべきところに収まる」のは難しいと思うのだけれど、だからこそこういう小説の世界では、収まるべきところに収まるところを見てみたいのだ。

いや、小説というより恋愛ドラマか。登場人物の人数も全体の長さも含めて、そういえばこの小説、いかにも1クール分のドラマの台本みたい。夜ちょっと遅めの時間に始まるドラマで、いかにも原作に選ばれそうだ。テーマ的には深夜時間帯だろうが。